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㉓3人目の体外受精はエゴ?(余剰胚のこと)

陽性判定を受け、その後は沖縄で検診をし、

そして東京の「何人でも産みにおいで」といってくれた産院で

(この記事参照)


そして東京の「何人でも産みにおいで」といってくれた産院で

(この記事参照)



無事に出産をしました。

39歳目前の38歳での出産です。

長い長い道のりでしたが、2人のお母さんになることができました。


この子と同じタイミングで採卵した「お迎え待ち」の凍結胚盤胞が残っているので、ずっとずっといつ迎えに行こうと、いつもこの卵のことを考えていていました。



1人目の子の時同様、2歳の誕生日を過ぎたタイミングで卒乳をし、

よしそろそろと考えるも、もう気づけば40歳!

年齢や経験と共に「自信」がつくものも多いですが、逆に不安要素が増えるということもあります。

今までの

【 妊娠できるかどうか 】

だけではなく、

いくつかの不安も加わりました。

①子宮ポリープが再発していないかの不安

前回は、移植直前に飛行機で行ったKLCで再発していることが発覚したので、今回は、事前に近くの婦人科で「子宮ポリープ」が再発していないかも確認してもらいました。

②二人の子を連れての遠方不妊治療

今回は三人目となるので、2人の子供を連れての沖縄から東京へ通う遠方不妊治療への不安。日帰りで帰ることのできる検査は日帰りにしても、移植周期は上の子の幼稚園を休ませて二人の子を連れて飛行機…

今までのように、身軽にできる立場ではないことを再確認していました。

②重いつわり

1人目の時もそうだったのですが、妊娠期間中とにかくつわりがひどく…

最初の数週で6㎏ほど痩せてしまい、上の子を育てながらのつわりは、

(主人は沖縄の自営業サービス業で基本繁忙期は休みがないので)

上の子の毎日のお弁当作りなどもありかなりしんどいものでした。

今回は二人の子を見ながら・・・と想像すると

近くに親戚などもいないので…不安がありました。

③妊娠後期のトラブル

2人目出産の際に、妊娠後期で血圧が上がり、

「妊娠高血圧症候群」まではいかないまでも、尿蛋白も出て、足も象のように浮腫み、これ以上血圧が上がったらすぐに産むよと言われたことで、とにかく血圧を測るのが怖くなってしまい、脈も上がってしまうので、「白衣高血圧」を疑われるほどでした。


そして、37週を過ぎたタイミングで早めにもう産みましょうと、

促進剤で出産となりました。

実際出産後は特に問題もなく安心したのですが、あの足の浮腫みや高血圧の怖さをもう一度経験するかもしれない・・・

と思うと、少し怖いと思う気持ちも芽生えてしまいました。


こんな感じで…ここにきて、

「妊娠できるだろうか」

「無事に通えるか」

「無事に出産できるだろうか」

という気持ちも加わり、

取り組む前からただえさえ、奇跡に挑むのに、「自信」が持てない心持ちになってしまっていました。


そして、もっともっと、夫婦で話し合わなくてはいけない

<本質>

の部分。

本当に私達夫婦は3人目を望んでいるのか。

余剰胚があるからというだけで、義務的な気持ちではないのか。

そもそも3人目の体外受精なんて「エゴ」なんじゃないか。3人目を望むなんて贅沢じゃないのか。

と夫婦で何度も何度も何度も話し合いました。


3人目はもちろん産めるものなら産みたい。

私達「二人の」卵がもう一つある。

目の前にいる二人の子供達の笑顔を見て、寝顔を見て、この子の達の兄弟に会えるかもしれない…

もうそれは、会いたいに決まってる…!!!

3人目を望むなんて本当は贅沢かもしれない…

あの時(二人目の採卵をしたとき)卵が1つしか取れていなかっとしたら、2人も授かることが出来た40歳の立場として、採卵からのスタートでKLCに通うことはないと思います。


けど、ここまで12年間、何十人ものまえで「畑が悪い」って言われたり…


卵巣嚢腫で開腹手術もして、子宮ポリープの手術も2回もして、蕁麻疹とも戦って、友達の妊娠報告に怯え、とにかく毎月一喜一憂し、精神的にも金銭的にも体力的にも頑張ってきた。


今、「凍結胚盤胞」があること。

それは、その12年間の成果であって、くじけずに行動した結果の結果であって、二人にとっての、そしてその間に産まれた家族にとってのかけがえのないものに違いない。

だから、贅沢だなんて考える必要はない・・・!

と夫婦で余剰胚への「責任」とかそう気持ちではなく、「会いたい」という気持ちで決めました。

前にこの記事でも書いたのですが、




卵の立場からしたら、

こちらの勝手で採卵されて

受精させられて

凍らされて

長いこと凍らされたと思ったら、また戻されて・・・

と私達の勝手に決めたペースに「つきあってくれた」。

ならば早くお迎えに行って、家族がみんな待っていること伝えようと、自信を持って言えるようになりました。


大丈夫かな・・・と不安が先行してしまう部分もありましたが、

前向きな気持ちでそこから日程の調整に入り、3人目の「移植周期」を迎えることになりました。



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28歳 結婚を機に東京から沖縄へ

30歳 妊活スタート

    初めてのクリニック

    基本検査

    タイミング 4カ月

    人工授精 3ヶ月

    身体中に蕁麻疹

    大きい病院でMRI検査 

    両側に卵巣膿腫が見つかる

31歳 東京の病院で開腹手術

     沖縄に戻り経過観察

     無事生理再開

     排卵を確認

     病院に通わず妊活を再スタート

32歳 約1年排卵日チェッカーでの妊活をするもできず

     体外受精に踏み切る決断をする

     加藤レディースクリニック初診

     新鮮胚での移植が決まる

     自然周期で1つ採卵

     受精確認

     分割新鮮胚移植

     結果は陰性

     2回目の採卵

     結果は空砲

33歳  3回目の採卵

2個採卵→胚盤胞に 

     胚盤胞移植

     陽性判定(hcg89)

     KLC卒業 

     沖縄の病院で胎嚢・心拍確認

34歳  第1子出産

     ~胚盤胞1個 凍結中~

36歳  第2子目指し妊活スタート

     子宮ポリープ見つかる

     子宮ポリープ剥離手術

     凍結胚移植

37歳  結果は陰性

     採卵からスタート 

     2個採卵→2個胚盤胞に

     移植周期スタート

     子宮ポリープ再発 

     子宮ポリープ手術

     凍結胚盤胞移植

     陽性判定

38歳 第2子出産

    ~胚盤胞1個凍結中~

40歳 移植周期スタート ←(リアルタイムではないですが)今ココ




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