森林浴×対話×屋久島の可能性を問う。~「インナー・サステナビリティの探求」~
先日、6月12日(日)に『野外活動指導者セミナーin屋久島(キャンプインストラクター養成講習)』3泊4日の研修会が無事終了したことは、前回のnoteに記しました。
このセミナーの振り返りはこちらから
そして、今回は、このセミナーの3日目の午後にヤクスギランドの森で行った演習「環境教育プログラム体験」について自分なりに振り返りをしてみたいと思う。
この振り返りを通して、
・屋久島における森林浴×対話の可能性
・屋久島ガイドとして活動する僕自身の森の案内人としての可能性
を探求できたらと思っている。
そして、前回のnoteより引用すると、僕自身はこのセミナーに向き合うにあたり、こんな「問い」を掲げていた。
2022年6月11日(土)。
朝からの大雨で屋久島地方には「大雨警報」が発令された。
屋根を打ち付けるような雨がしばらく続いていた。
屋久島では、「大雨または洪水警報」発令時には、安全確保から山や森へは入らないというローカルルールがある。
※自然休養林「ヤクスギランド」も警報発令時は、閉園となる。
ガイドをしていれば、大雨により仕事がなくなってしまうこともある。何よりも時間とお金をかけて屋久島まで来た旅人たちは何もできない…ということになるのだ。
しかし、厳しい自然とともに生きてきた屋久島の人々は、自然に抗うことなどしない。ただ受け入れて、今できることをする。日常生活もお天気(自然)が優先される。
人智の及ばない世界と向き合う。
この経験は、かけがえのない体験である。「野外活動指導者」になる人たちにとっては尚更だ。これまで見たことがない、自分の存在を揺るがすような圧倒的な存在や空間を目の当たりにする。
そんな場所だからこそできる「野外活動指導者(キャンプインストラクター養成)セミナー」がきっとあるはずだと2019年当初から思い続けてきた。
午前中の講義が終わりに近づいた頃、雨は小康状態となり、「大雨警報」は解除された。そして、「ヤクスギランド」も開園されたとの情報が入った。
これで、ヤクスギランドの森を歩ける!
バスに乗り込む受講生みんなの表情から、気持ちの高ぶりを感じていた。そして、僕自身も高ぶる気持ちを抱えてバスに乗り込んだ。
森林浴×対話の世界へ誘う
今回僕が据えた、このヤクスギランドでのプログラムのテーマは、
あなたの五感で感じる、ヤクスギランドの森
自然の多様性、人間の感じ方の多様性を知る
これまでの自分のガイディングであれば、おそらく森を案内しながら、この森の多様性について言葉で伝えていく、語っていくのだが、”多様性”という言葉は、森の中では封印した。
あくまで”感じること”で、五感で感じたことを通して、それぞれの人が多様性というメッセージを受け取ってもらえたらと考えていた。
ちいさな命を手で触れて感じる
【触覚】
針葉樹と聞いて、スギ、ヒノキ、マツくらいは頭に浮かぶだろうか?ぱっと見ただけでは、違いが分からない樹種もあるが、触れてみると、痛かったり、柔らかかったり、そこに違いがあることが分かる。
僕らは、この触れた手の感覚から、この森がどんな森かを想像した。
川で耳を澄ませる
【聴覚】
そっと耳に手を当ててみる。目を瞑り、聴く方向や手の当て方を変えてみる。はじめは、そんなことわざわざしなくても…音なんて聞こえてるよと思う参加者もいたと思う。
でも、強制したりはしない。その人がその人のタイミングでやりたくなったらやればいい。今ここには、正解もゴールもないから。
最後に、「あなたが一番心地よく音が聞こえるポイント」を分かち合ってもらった。もちろん、僕も分かち合った。
ああ、みんなそんな風に感じてるんだ~という
驚き、共感、納得etc.
その人が感じたことを言葉にしてくれることで、
よりその人を感じられたように思う。
森が、五感を通して、人と人をつないでくれた。
この樹木は一体どんな人に見えますか?
【共通感覚・・・あらゆる五感を組み合わせて感じる】
「千年杉」と名前の付いた杉。
樹齢1,000年を超えた屋久杉かどうかは分からない。
一度この名前から離れてみよう。
初対面の人と出会った時、ああ、この人こんな人かな?と感じたり、想像したりすることは誰しも経験があると思う。
そんな風に、この樹木を人に例えて、同じ「問い」を投げかけてみた。
もしこの樹木が人であったとしたら、いったいどんな人に見えるだろうか?
ある人は言う「芯のしっかりとした青年」と。
ある人は言う「子どもをたくさん育てる肝っ玉母さん」だと。
ある人は言う「男性でも、女性でもなく、中性的な人」だと。
目の前の同じ樹木を見ているのに、
それぞれが見る、この樹木の姿はみんな違う。
でも、その違いがギフトで豊かだと、参加者のるうちゃんは言った。
みんな自分の言葉で表現することが楽しくなってきているように感じた。
屋久島の山水を味わう
【味覚】
受講生の中には、学校の先生もいて、最近はアレルギー持ちの生徒が多くて、自然体験をしていても気軽に山菜や木の実を食べさせることができないと話をしてくれた。
水はどうだろうか?
屋久島ならではかもしれないが、山水を味わってみる。
大学生のベニマルが「田舎のお水の味だ。」と表現してくれた。
「都会の水道水とは、味が全然違う。」「美味しい!」と。
一方で、「水の味が全然わからない」という声もあった。
リラックスタイム~♪
見晴らしの良いつり橋へちょっと寄り道。
谷を流れる水の音、吹き抜ける風をそれぞれに自由に感じてもらった。
目の前の森には、いくつ色がありますか?
【視覚】
人間の五感による知覚の割合は、8割が視覚と言われている。しかし、見ているようで、実は意識して見ようとしないと感じられないことがある。
何気なく、”緑”だな~と感じる森。しかし、何色あるか?と問われると、途端に自分が見逃していたもの、見落としていたものに気付く。
みんなで同じ森の風景を見ていたが、50種類以上の色があると答えてくれた参加者もいた。
【嗅覚】
コースも終わりに近づいたところで、白い花が落ちていた。
手に取って、香りを嗅いでみると、甘い香りがした。
香りも感じることは人ぞれぞれだった。
ミクロとマクロのまなざし
【おまけ】
最後に、みんなが、苔に興味を示していたので、手で囲えるスペースに一体いくつの命があるのか?数えてもらった。
この苔の下は、岩なんだけど、これも命かな?
と数え出すとキリがない。囲ったスペースによって、命の数は様々だった。ちいさなちいさなスペースだけど、想像以上に命を見つけた。
90分の森歩きでも、充実感に溢れていた
強い雨に降られることなく、森に潤いがあり、心地よい森林浴と対話の時間だった。おおよそ1時間半ほどだったが、五感を使ってinputしたおかげで、それぞれに凄い情報量を得ていたようだ。
まだ小雨も降っていて、少し寒かったこともあり、森林浴の振り返りは、研修センターで行うことにした。
体験をふりかえる「対話」の時間
今回、敢えて森を歩き始める時には、最後の振り返りの時間で、ヤクスギランドに●●の森というネーミングを自分で付けてください!と伝えなかった。
先に言ってしまうと、名前を付けることに意識が行ってしまい、五感が使えなくなってしまう恐れがあるなと思ったから。
振り返りの時間で、初めて、今日歩いた森に名前を付けて欲しいと伝えた。
その森のネーミングを分かち合いながら、振り返りをしたいと。
同じ森を一緒に歩いて
五感で感じて
言葉にしたら
7人それぞれの森が立ち現れた。
僕も入れて7人の森を紹介したいと思う。
・みどりとしずくの森
・みらいのモリ
・命の森
・ギフトの森
・苔と水と緑の森
・包容力の森
・なないろの森
わたしの五感で感じながら歩いた森を、わたしの言葉で表現すること。
言葉が生まれるその瞬間、それは誰かの森ではなく、わたしの森になる。
だから、その風景をわたしから切り離すことはできない。
”つながり”は”多様性”と決して相反しない。
むしろ、”多様性”を受け入れることで、”つながっていく”ということ。
参加者るうちゃんの言葉を借りると、”違いこそギフト”なのだと。
今、人と自然は、分断されている。かつて人と自然がひとつであった時代。”自然(じねん)”の世界が生きていた時代へ。僕らが、この違いを受け入れていくことで、”自然(じねん)”の世界を取り戻していくのかもしれない。
参加者のゴアが、”こんな森を自分が住む地域にも作りたい”と表現してくれた。
グローバルで問われている”持続可能な社会”。
これを実現するには、まず自分自身が”サステナブル”であること。
自然を通して、心も体もひとつになる。また自然ともひとつになること。
”森林浴×対話×屋久島にどんな可能性があるのか?”という「問い」。
今、僕がその「問い」に答えるならば、
それは、森に訪れる一人一人が「インナー・サステナビリティ」を実現できる可能性と答えるだろう。
僕らが自分の五感を、自分の言葉を信じて、森に集うこと。
それが一つの希望になる。そんな予感がした90分だった。
「ヤクスギランドの森」を「1000人の森」へ
ヤクスギランドは、樹齢1000年を超える屋久杉の森だ。
だから、”1000年の森”と紹介する人もいる。
僕は、このヤクスギランドの森を
いつか”1000人の森”にしてみたい。
五感で感じて、自分の言葉で、この森を表現する。
繋がりをデザインする”あたらしい森林浴”によって、
この森は、多種多様な言葉たちで表現されていくだろう。
僕がガイドとして説明し、解説するだけでは、”1000人の森”にはならない。
この森を訪れた人たち一人一人が五感を通して、この森で何を感じて、何を言葉として表現するのか?そこに可能性が詰まっていると思う。
それが、自然と人、森と人のつながりを揺るぎないものへとしていく一歩なのかもしれない。
最初に掲げたこの2つの探求はまだはじまったばかりだ。
・屋久島における森林浴×対話の可能性
・屋久島ガイドとして活動する僕自身の森の案内人としての可能性
でも、今、僕の中には、希望しかない。
仲間とともに、この世界を広げていきたい。
最後に皆さんへ「問い」を渡します。
皆さんには、「わたしの森」、「ぼくの森」がありますか?
***フォトギャラリー***
All photo by チャド
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