やっててよかったこと的な何か
こんな私でも学生の頃4年間海外留学をしていたことがある。 なぜ海外留学をしたかというと、日本の大学をすべて不合格になってしまったからだ。 その最たる原因は英語が全くできなかったのだ。 全国模試で絶望的な偏差値38をたたき出したぐらいで、適当にマークシートを埋めるだけでも良い点数を出せたはずである。 中学3年間と高校3年間の英語の授業は謎の文字と謎の呪文が流れている異世界にいるようだった。
ではなぜ英語が嫌いになったのか、それは中学1年生の最初の英語の授業での出来事。 課題であった練習問題を提出しなかった私に英語担当の先生が鉄拳制裁を食らわせたのだ、皆の前で。2発も。 思春期真っ只中だった私は痛さより恥ずかしさが勝ってしまい、英語担当の先生はもちろんの事、英語が嫌いになってしまった。※1 課題をやっていない自分が悪いのは重々承知しております。 ※2 英語担当の先生はすごく良い先生でした。
そんなことがあり、英語に対する拒否反応が6年間も続いてしまったのだ。
大学をすべて不合格になった私に父親が仕事の話を持ってきた。まだ働きたくない。周りの皆が大学に進学する中、まだまだ遊びたいという不純な気持ちで学生生活を続けたいと思っていた私にある手紙が1通届いた。
「海外留学プログラムのお知らせ」
当時通っていた予備校が主催する海外留学の案内だった。特に海外にも留学にも興味はなかったのだが、働かなくて済む最後の希望、私はその手紙に全てを賭けた。両親に海外留学への熱意(嘘)を伝え、プレゼンをし、最後は土下座までした。そして無事留学への切符を手に入れた。
しかし、海外はそんな甘いところではなかった。それもそのはず、英語がまったくできないのである。 ノリと勢いと両親のやさしさだけで異国の地に降り立っただけで、なにも知識も情報もない。言葉の壁にぶつかりながら4年間を過ごした。
ということで、私の今回のお題「やっててよかったこと」は留学と英語。
さすがに4年間海外にいる事で、少しは英語がわかるようになった。海外で友人もでき、軽い冗談を言えるぐらいまでには上達。日本に帰国し、新聞に載っている共通一次の英語を見ると、なぜこんな問題がわからなかったんだろうと思ってしまうぐらいにはなっていた。
しかし、就職先で英語を活用する機会は全くと言っていいほどなかった。 そんな英語と全く関わりを持たない生活は16年ほど過ぎた頃、ある英語をつかうチャンスが巡ってきた。取引先の外資系某通販サイトの仕事をしている時に、スイス出身の方が担当になったのだ。元来人見知りな性格で、他人に自分から話しかけるなんて行為を日本語でもしないのであるが、一人黙々とPCを触っている担当の方に勇気をもって話しかけてみた。もちろんカタコトの英語である。忙しく仕事をしている時にカタコトで話しかけてくる日本人がすごく迷惑だったに違いないだろう。しかし、担当の方は笑顔で話しを聞こうとしてくれた。自分も舞い上がってしまい、べらべらとジャパニーズイングリッシュを披露した。なんだかんだで2人でランチに行くぐらいまで仲良くさせてもらった。 2年ぶりぐらいに再会した時もまだ名前を憶えていてくれており、(あー、英語で話しかけてよかったなー)と心の中で思った。
とまぁ留学した4年間の成果を、働き始めて19年ぐらいの内1週間ぐらいしか使っていないのだが、あの時快く海外留学を許可してくれた両親には感謝してもしきれない。苦手だった英語を少しは克服し、英語を覚える以上の体験をさせていただいた、そんな私の「やっててよかったこと」でした。
あ、フィリピンクラブで女性を口説く時に英語をつかったのを忘れてた。
終