母がサバを読んだ話

幼少の頃の記憶で、頭の片隅にずっと微かにほんのりと残り続けているものがある。まずはその記憶の話から始めよう。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
私は小学校の低学年か、ひょっとしたらそれにもまだ満たない年齢で、当時は両親と、二つ上の姉とで、マンションに暮らしていた。その日何故か父親は不在で、家には母と姉と私がいた。

夜、といっても夜中ではなく、晩飯の最中か、風呂に入る前か、そのくらいの時分である。突然ジリリリ!と非常ベルが爆音で鳴り響き、廊下に出ると他の住民たちも何事かと飛び出してきていた。母は急いで私たち子供二人を連れて階下に降りると、マンションの外に出た。消防車が何台か来ていて、消火作業の準備が行われていた。人だかり、群衆に紛れて、母に手を繋がれていた私は、皆と同じようにマンションを見上げた。そして、とある一室から火の手が上がるのを目撃したのだった。子供の私は、恐怖というよりも、ちょっとしたお祭りの気分でワクワクした。たまや~などと言えば母に怒られることは目に見えているので、大人しくただ口を開けていた。やがて無事に消火作業も終わり、怪我人が出ることもなく、惨事は免れた。

話はここからである。マンションを見上げる群衆の中に新聞記者がいたようで、私たち家族がその場で取材を受けたのだ。マンションの住民、ということで、母が何か聞かれて何か喋っていた。私と姉は、わ!すごい、と顔を見合わせた。そうして少しのインタビューが終わり、記者はお礼を言うとともに、最後に名前と年齢を母に聞いた。そこで母は、あろうことか実年齢よりも3歳ほど下にサバを読んだのである。私と姉は、え?マジ?って顔を見合わせた。記者が去った後、母はお茶目な顔をして、てへ、みたいな感じでふざけて、私と姉は、サバよんだ!若く見られようとした!と囃し立てて、母もまた、だって新聞載るんやもん、と、まるでクレヨンしんちゃんのみさえみたいに甘い声を出した。次の日になり、母はその新聞をわざわざ買ってきて、父も私も姉も大層呆れた。

 
・・・・・・・・・・
 
 
という記憶が、私にはあった。で、こないだ、ふとそのことを思い出して、当の新聞記事を読みたいなと思った。もう30年も前の、ひょっとするとそれ以上に昔の出来事である。どこかにその新聞があるのではないかと思った。

ちなみに母は私が10歳のときに36歳の若さで死んでいる。偶然にも私は今36歳なのだ。どういうわけか、ふと、あの火事のこと、そして母がふざけてサバを読んだこと、を思い出して、それがどの新聞の記事だったか、いつのことだったのか、詳細は分からぬが、無性に知りたくなったわけである。そうして私は大阪の中央図書館へ行き、新聞データベースのパソコンで検索をかけた。私が10歳の頃に母は死んでいるので、必ずそれよりは前の出来事である。そこで、1992年(私が4歳)~1998年(私が10歳)の期間、キーワードには「大阪市」「火事」「火災」など、後はマンションの名前や区などで検索を入れて、かなり根気強く色々と検索をかけたが、結局、該当記事はヒットせずに終わった。

しかし、私の記憶の底には確かにあるのだ。何故ならこの「母がサバを読んだ話」は、後年になっても姉や父と笑い話として会話したこともあるし、群衆の中で燃える部屋を見上げたことも、姉と顔を合わせて笑ったことも、自分の脳内ではイメージとして浮かび上がる。しかし改めて考えてみたら、火事とはいえ、死人はおろか怪我人もなく無事に鎮火されているし、新聞に載るほどの事件では無かったような気がする。だからひょっとしたら大阪のローカルな新聞のちょっとした小記事だったかもしれぬし、図書館のデータベースにも残らぬほどの些細なものだったのかもしれぬ。また、記憶というのはいつも曖昧なもので、年月を経るうちに歪曲して事実とは異なった状態で固まることも多々ある。おっかしいなーと思いつつ、私は残念な気持ちで図書館を後にした。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
私は、父と姉にLINEを送った。
「昔のマンションの火事覚えてる?あれっていつやったっけ?新聞にも載ったよな?」

姉の返信によると、
「覚えてる。お母さん27歳とか言ってサバ読んだやつ。次の日その新聞買ってきたんよ。私が小学校低学年の頃やったかな。」

父の返信によると、
「あの火事の日の夜は、確か忘年会に行ってたから、12月やわ。寒い時期やった。新聞は読売新聞やった気がする。何年かまでは覚えてない」

 
 ・・・・・・・・・・
 
 
ある日、私の店、ライヴ喫茶 亀に一人の男性客が来た。カウンター席に座ったその人は、珈琲を頼まれた。少しの沈黙の後、実は私、新聞記者をしてまして…と話し始めた。とある縁があってこの店のことを知り、興味を持って訪れたと言う。以来、その人とは懇意にさせて頂き、後日、亀のことやヤングのことを取材した上で、素敵な記事にしてくれたのだが、それはまた別のお話。その人はなんと読売新聞の方だったのだ。私はその人に、あの、めちゃくちゃ個人的な話をして良いですか、と前置きして、マンション火事と母の話をした。すると流石、記者だけあって、すぐにポケットから手帳とペンを取り出すと、それでそれで?と身を乗り出しての聞き込みが始まった。細かな私の記憶の欠片と、父姉による証言をまとめたその人は、ちょっと私の方でも調べてみます、と言ってくれた。

また、私の中にあるいくつかの疑問についても教えてくれた。たとえば、取材対象者が年齢のサバを読むことは可能なのか?ということ。これは、新聞ルールではまず有り得ない話で、なぜなら新聞というのはたとえ些細な箇所でも事実に基づいたものを書かなければならないのが原則、取材対象者については、姓名の書き方は勿論、年齢ならば生年月日を必ず聞くようにするし、昨今では性別の表記などにも人一倍気を遣うようにする。それが常識ではあるのだが、なんせ30年近く前の新聞、それも地方版の場合だと、今よりはそのルールが曖昧であった可能性も無いことは無い。そしてマンションの火事についても、当時の地方新聞ならば記事にする可能性は全然有り得る、とのことだった。

つまり、私たち家族の記憶の通り、サバを読んだ母の年齢が新聞に載っていてもおかしくはない、という結論であった。これにはひとまず安堵した。しかし、何たる幸運だろうか。こうして読売新聞の人と自分の店で出会い、こんな個人的な遠い記憶の調査に協力してくれるなんて。本社で調べれば地方版であろうと小記事であろうと、まず間違いなく見つかるだろうし、ゴールはもうすぐだと思った。

後日、記者の方が再び来訪して、色々調べたがそれらしきものは見つからなかった、とのことだった。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
それで折れるような私では無かった。こうなりゃ最終手段である。マンションの管理人室、ここの管理人はお爺であるが、聞くと勤めて10年ほどになるという。昔このマンションで火事があったのを知っていますか?と私は真っ直ぐ聞いた。すると管理人は、あれは確か…もう随分昔の…私がここに来るよりももっと前のことで…8階のね…、と言い出したので、30年くらい前のことなんです!と言うと、確かね…当時の新聞記事が保管されてるんですよ…ちょっと待っててください、と来たから、思わずガッツポーズした。事情を説明して、そうして、その記事のコピーを貰い、遂に私の調査は達成したのである。
 
 
・・・・・・・・・・
 


 
思ってたよりもでかい記事で笑った。他に書くこと無かったんか。さて、ここからは答え合わせである。やはり記憶とは曖昧なもので、まず、父の記憶とは違って読売新聞ではなく産経新聞であった。12月というのは当たっていて、そう言われたら寒い中で外に立ち続けていたような記憶もある。そして、1992年とあるから、私は4歳、姉は6歳のときの出来事で、だから姉の小学校低学年は当たっていて、私はまだ幼稚園児のときだった。

そして問題のサバ読みであるが、まず母の取材箇所は黄色く囲った部分で間違いないと思う。

…また別の主婦(30)は、「『火事だ』という声を聞いて逃げましたが、子供二人を連れ出すのが精一杯でした」とコートも着ずに震えていた。…

1992年当時の母は、この記事の通り30歳である。正しい年齢が記載されている。あれ?ということは、サバは読んでいなかったのか?それとも、サバを読んだけど新聞記者に生年月日を聞かれて思わず本当の年齢を言ったのか?そもそもサバを読むつもりもなく単に年齢を言い間違えたが生年月日で気付いたのか?ここに来て、またひとつ謎が増えてしまった。

しかし、いくら考え直しても、母がサバを読んだ、という記憶が私の中にはある。普段からお茶目でよく冗談を言うような人だった。真面目で冷静な父とは対照的に、明るく感情で生きているような人だった。私のおふざけ精神は母譲りのものだと思っている。だから、30歳になった年に、ふと年齢を聞かれて、えっとぉ、27なんですけどぉ、とふざけて言う母の姿は、容易に想像がつくのだ。

「子供二人を連れ出すのが精一杯でした」この子供二人とは、私と姉のことである。お母さんの声って、どんな感じやったかな、と想った。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
父と姉に新聞記事の写真を送り、見つけたよ、と連絡した。

父から、おおこれか、お母さんがサバ読んだやつな。と来た。やはり、母はサバを読んだのだ。

姉からも、凄い!これやん!と来た。そこで姉に、30歳って書いてあるけど正しい年齢よな?と聞くと、驚く返信が来た。

「思い出した。お母さんが新聞記者の人に27歳とか言ってサバ読んでん。それで私めっちゃ笑って、ママ30歳です、サバ読んでます、って記者の人に言ってん。後で、要らんこと言わんといてよ、って怒られた」

何だかそんな感じだった気もしてきた。母がふざけて、姉がチクって、私は笑ってたんだろうと思う。記憶とはやはり曖昧で、断片的なものである。ともかく新聞記事が見つかり、当時まだ元気だった頃の母の言葉がそこに載っていることが、嬉しかった。
 
 
・・・・・・・・・・
 
 
姉は最近3人目の子供を産み、今や立派な母親となっている。姉のLINEは続き、

「でも今思うと、30歳でもだいぶ若いよな。お母さん凄いわ」
遅めの難産だった姉からすると、母の苦労が今になって染みるのだろう。

「最近子育てしながらお母さんのことよく思い出すねん。ていうのは…」
と、どことなく感傷的なエモい姉からの長文LINEは続き、新聞見つけてくれてありがとう、と最後に感謝が綴られていた。見つけて良かった。

いいなと思ったら応援しよう!

ヤング嶋仲
何もいりません。舞台に来てください。