ユーアーフラワー
もうすぐ8月が終わる。ひと夏の経験は過去の思い出となり、記憶の中に仕舞われる。明日も、明後日も、やって来た時点で、全ては過去の記憶となる。思い出作り、なんて言葉は嫌いだったが、もしかすると、所詮、人生は思い出作りなのかもしれない。
髪が伸びて、もっさりとしている。風呂場でハサミでじゃきじゃき切って、ぐしゃぐしゃにしたら、更にもっさりとした。
煙草の量は未だに減らぬ。考えごとをしているときなど、気が付けば灰皿が山盛りになっている。死んだ祖母は口癖のように、煙草やめ、と言っていた。今はもう誰も言わない。
疲れた人が多いように思う。現に、自分も、毎日疲れた疲れたと言っている。もう、あれもこれも、何をするのも、疲れてしまった。疲れた者同士で寄り添い合っても、更に疲れるだけである。自分の好きな歌の歌詞で、「疲れたときには孤独になれ」というものがある。孤独と向き合うことを、忘れてはいけない。
先日、市民プールへ行った。子供の頃から水泳が好きだった。水中を歩行する爺や婆を横目に、ひたすら泳ぐ。水の中にいる間は何も考えなくて良い。ただ真っ直ぐ、前へ前へと泳ぎ続ける。脳がすっきりとして心地良い。問題は、プールの水に含まれる塩素である。鼻炎持ちの自分は、塩素により粘膜が刺激されてムズムズになる。プールに汚物を落とすのは申し訳無いので、鼻が出るたびに洗面所へ行くのだった。
何かが上手くいかぬとき、自分は布団に転がり枕に顔を埋めて、うぅうぅ、と言う。涙こそ出ないが、それなりに大きな声で、言葉にもならぬ言葉を喚く。うぅうぅ、だぁだぁ、もううう。まるで獣のようである。ひとしきり喚けば、スッと立ち上がり便所へ行くなどする。
飯を食べるのが億劫で、空腹のままでいる。自分は普段、我が店で料理をしているが、あれは、誰かが食べるから作れるのであって、自分のために料理などする気は無い。腹さえ減らなければ、もっと有意義な人生を送れただろう。ドラゴンボールに出てくる仙豆、それは一粒食べれば何日も空腹を凌ぐことが出来る。アマゾンで調べても仙豆は売っていなかった。あれば、買うのに。
ひたむきに咲くお花。お花はいずれ枯れるが、枯れてもなお、種を宿すことがある、枯れた後に残る美しさを私は信じている、といったようなことを喫茶ローレンスの女主人も言っていた。お花を馬鹿にしてはいけない。お花の強さを、自分は知っている。
きみも、枯れることを恐れてはいけない。不貞腐れて頭を垂れるな。うむ。そうだ。喚いても始まらぬ。飯もたらふく食えば良い。たくさん水を浴びて、太陽に当たれば、きっとお花は咲く。きみにとっての水や太陽光は、何だろうか。
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