異界に迷い込んだり、天に願いを届けたり
6月の月参りは、関東の伏見稲荷として創建されたという、東伏見稲荷神社。
結構近場に結構由緒ある神社があるなと思った次第。
境内は広く清々しい、開けた印象で、ちょうど夏越の祓えの時期でもあり、大祓えの神事も行う神社であるようなので茅の輪が設置されていた。
月参りを始めてから、6月に参拝した神社には茅の輪がなかったから、ちょっと嬉しくて、ウキウキと感謝しながら茅の輪をくぐらせていただいた。
本殿裏にも神域は繋がっていて、こちらは境内の開けた感じとはまた雰囲気が変わる。
私は伏見稲荷神社は行ったことがなく、映像などで見たことがあるだけだが、鳥居が整然と綺麗に並んでいる千本鳥居のイメージがあり、こちらもそういうものだろうと思っていた。
裏手に入るとお塚がたくさんあるのだが、それに繋がるように鳥居が立っていて、それは迷路のような印象だった。
無造作とまではいかないが、真っ直ぐ一本道ではなく、分岐する。
それが木々が鬱蒼としているところにあるので、雰囲気はまさにちょとした異界に迷い込んだ感じだ。
神社の大鳥居をくぐるとスッと涼やかさを感じるのだが、ここはさらにグッと涼しくなったような、異界の雰囲気を感じた。
烏やトカゲとも出会い、まさに異界探訪をしたような感覚で、月参りができた。
そして、七夕。
この日は参拝する予定ではなかったのだが、ふと「短冊に願いをしたためたいな」と思ったので、近くにはあるが行きにくいため心の距離が遠かった神社を検索してみた。
そしたら、なんともはや……
「七夕まつり」というご祈祷をやるというし、これまで参拝したどの神社よりも近く、しかも行きやすい場所にあることがわかった。
思い込みって恐ろしい。
ずっと駅からもちょっとあるし、自転車などでも距離があると思っていたのだが、駅からは距離があるが、自宅からは楽勝ということがわかり、意気揚々と参拝させていただいた。
しかし、本当に参拝する時も思うのだが、短冊に願いを書くとき、何を書こうかと出てこないものだ。
私の中では、世界が平和なら、私一人くらい平和にするのは容易いだろうという考えがあるので、マイノリティな願いよりマジョリティな願いが浮かんでしまう。
今回も、そういう感じだったのだが。
それでいい。
個人的な願いは、日々の中で天に求めていけばいいのだから。
風が吹き抜けると笹のサラサラと葉が擦れる音と、風鈴の涼やかな音が響く境内で、しばし待機。
こういう神事に立ち会うことはなかったので、新鮮な思いと神聖な気持ちで見守らせていただいた。
笹が焚かれ、煙が天に昇っていく。
その中に願いや想いがあるのだろう。
織姫や彦星が幸せな逢瀬をできるようにと祈りながら、その幸せが願いを叶えてくれる力になるようにと願いながら、見守った。
こういう経験もいいなとおもう。
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