D45 | 6.余白ってなんだ?
余白ってなんだろう。
言葉通りとらえたり、辞書的な意味でいうと文字とか絵がある紙面上の、文字や絵がないところ。余った白い部分。
でも、黒板のように色がついたものでも、文字が書かれていない部分は余白って言われる。白じゃなくても余白。
余白について考えてみた。
僕がまず出した暫定的な結論(これは活論とは言わないか…)は、なにかを置いたときに生まれるスペース。
たとえば、紙の上に、黒いまるを描いたら、その黒いまる以外が余白になる。なにかを置いたことによって、副次的に生まれてしまうもの。対象を置くと、自動的に余白も生まれてくる。量子力学の対生成(ついせいせい)みたいで、おもしろい!(対生成はうまく説明できないのだけれど、ざっくり言うと、プラスとマイナスのような対になるものが同時に生まれる現象。)
そして、対象と余白が生まれると同時に、そこに関係性も生まれる。間(ま)というものができる。
紙面のレイアウトで言うと、「●」という図形を置くと、「●」と「余白」と「●と余白のある間(ま)」が生まれる。「●」を置くだけで、「余白」も「間(ま)」も生まれてしまう。ひとつを置くと、3つが誕生する。
今度は「●」と「▲」を置いてみる。そうすると「●と▲のあいだの余白」も生まれるし、「●と▲と余白を含む間(ま)」も生まれる。
ものを置いた分だけ、余白は誕生し、間(ま)はかたちを変えていく。
部屋で考えるとわかりやすいかもしれない。床というスペースにベッドを置く、タンスを置く、テーブルを置く。そのときに残った、見えている床が余白。ベッドや床を含む、部屋全体が間(ま)。ベッドを置くと、床の見え方が変わり、部屋の雰囲気が変わる。
お!なんかおもしろいぞ!
ベッドを置くという行為によって、余白は同時に、自動的に生まれてくる。逆に、求める床の見え方(欲しい余白)のためにベッドを置くこともできる。でも、余白は、ベッドを置くという行為なしには生まれてこない。
余白を意図的につくることはできるけれど、余白を余白として置くことはできない。余白は、何か他のものを置いたときに生まれてきてしまう。
余白は行為によって生まれてきてしまうもの。
そして行為によって、同時に間(ま)も生まれる。
あれ?これって人の雰囲気とかもそうかも。
僕がなにかを言う、ある行動をする、という行為をすると、その行為から僕の周りに余白できる。僕を含むオーラというのかな、そうして僕と周りの余白が間(ま)を作る。それが人の雰囲気とかイメージと呼ばれるものなんじゃないかな。
どういう人に見られたいか? によって行為を選べる、ということでもあるし、行為によってどういう人として見られるのか雰囲気が決まる、ということかもしれない。
でも、意図的にした行為以外にも、無意識に行った行為とか、すべての立ち居振る舞いが、自分の余白をつくっていく。自分の間(ま)をつくっていく。おもしろい!けれど、こわい…。こわいけれど、おもしろい!
自分というのは定型的なものではなくて、毎秒毎秒の行為によって生まれる余白によって、かたちづくられるのかもしれない。余白で自分が変わる? 毎秒毎秒、変化して、かたちづくられていく?
自分と相手がいると、自分と相手のあいだにも余白ができる。その余白によって間(ま)も生まれ、それが自分と相手との関係性になる。人と人の関係は、自分がした行為だけではなく、相手が行った行為だけでもなく、その両者の行為から生まれる余白と間(ま)によって成り立っている。
見えない余白、直接的にはつくれない余白というものを意識してみると、雰囲気とか、関係性とか、そうした目には見えないものをつくっていくことができる。
この余白をどんどん広げていくと、チームの余白とか、会社の余白とか、地域の余白とか、社会の余白とか、日本という国の余白とか、アジア、世界、地球、宇宙…。
あ!そういや宇宙って余白だらけだよね。星と星のあいだ。ダークマターと呼ばれる、まだなにか判明していないものが、そのあいだにあるようだけれど。
なにも見えていない余白にはエネルギーがある。その余白は、自分の行為によって創造ができる。これって、無(のように見えているもの)から有を生み出す、天地創造なんじゃないの!?ひょっとして。これが世界創造の秘密なんじゃないの? これがスーパーノヴァ(宇宙が急速に拡大したビッグバン)なんじゃないのぉ〜〜ッ!!と、余白のことを考えていたら、一人でテンションが上がってしまった。