D45 | コロナさんと僕
はじめに、のちょっと前に
本編の「D45」をはじめる前に、僕のコロナさんへの思いを書いておきたいと思います。
結論から先に書いちゃうと、この本「D45」は僕の想いがあふれ出ちゃう本になると思う。僕の不安や迷いや怒りや、喜びや希望、いろいろな感情を言葉にしていきます。なるべくおだやかな口調で話すけれど、それでも強いエネルギーになると思う。だからもし、僕の表現で、あなたが傷ついてしまったり、不快を感じてしまったりしたら、ごめんなさい。そっとこの本を閉じてくださいね。
…と、お伝えするための文章です。
この文章を書いているのは2020年10月24日。コロナさんが世界を騒がせてから、もうどれくらい経ったのでしょうか。僕は新型コロナウィルスのことを、コロナさん、と呼んでいます。時には呼び捨てにしちゃうこともあるけれど、コロナさんって呼んでいます。
理由はいろいろあるけれど、コロナさんのことを冷静に考えたいな、と思ったのがはじまりでした。一方的に悪者にするのでもなく、倒すべき敵にするのでもなく、こわがり過ぎたり、害や禍という側面だけで扱いたくないな、と思っています。
正直言うと、コロナさんがこの日本ですごい勢いで影響を広げていく3月から5月あたり、僕は自分自身の仕事や活動や生活に追われていて、コロナさんのことをこわがっている余裕がなかったのです。
フリーランスのデザイナーという仕事柄、常に誰かと接してなくちゃならないものではないこと、公共の交通機関を使っての移動もほとんどないことから、比較的、安全で安心な環境がありました。でも、一緒にSHIMAUMA DESIGNとして活動している相棒は、事務所まで交通機関で通ってもらっていたので、まず、それをやめてもらいました。2月の後半くらいだったと思います。
そして事務所に一人になりました。外に出る家族のことを考えるとか、親に会いにいくのを控えるとか、打ち合わせはZoomやメール、電話を活用するとか、手の消毒をするとか、人と会う時はマスクをするとか…、気をつけてはいたけれど、その気をつける範囲が少なくすんでいたかと思います。
飲食店をやっている友達や病院に勤めている友達から話を聞いたり、学校の先生の葛藤を教えてもらったり、イベントができなくなって困っている方とお会いしたり、いろいろな方のお話を聞きました。よくコロナさんによって、世界中が同じ問題に向き合うことになった…という話を聞くけれど、自分的には感覚が少し違います。コロナさんという同じような現象が世界中で起こったけれど、その問題となる具合は、一人ひとりそれぞれ違っていたのじゃないかと思います。
そうしていろいろな方のお話を聞いてみると、あぁ自分はコロナさんの影響がとても少なかったのだなぁと、あらためて感じました。きっと僕はコロナさんのこわさをあまり知らなかったり、対応することがどれだけ大変なのか、想像はしてみるけれど、やっぱりわからない部分が多いのだ多と思います。
だから、コロナさんで大変な思いをされている方が読んだらこわがらせてしまったり、不安にさせてしまうかもしれない。ごめんなさい。それでも僕は、表現をしたい。この場所…自分がつくるZINEという限られた場だったら、そうした表現ができるかな、と思いました。コロナさん関連の影響によって大変な思いをされた方に思いを馳せつつ、でも、自分の想いも大切に表現をしていきたいと思います。
人と比べなくてもいいよね
僕自身、コロナさんの影響がとても少ないと言ったけれど、まったく影響を受けていないわけではないし、いろいろな変化はありました。とくにダメージについては、もっと大変な思いをされた方がいるから自分なんて…とは決して思わずに、自分の小さなダメージにもしかっりと向き合っていきたいな、と思います。
3.11のとき、僕は自分が受けたダメージを無いものにしてしまいました。もっと大変な思いをされている方がいるからって。僕は直接的な大きな被害は受けなかったけれど、あんな大きなことがあって、いろいろなことを感じて考えて、たくさんのダメージを受けていたのに。
僕がすり傷で、となりの人が骨折をしていたら、その人を助けたいし、先に治療を受けてほしいし、ケアしたいけれど、でも自分のすり傷を無視しなくてもいいですよね。それはそれで痛いものだし。なんか、痛がっちゃだめだって勘違いをしていたと思う。3.11から8年経ってようやく、僕は僕自身が3.11で傷ついていたことを知りました。
無視していたダメージは身体の中に蓄積していました。こんなにもショックを受けていたんだなって驚いたし、そんなに大変だったのに、これまで無視してきてごめんね、と自分にあやまりました。
そのときの学びがあったから、今回のコロナさんの影響には、きちんと向き合おうと思います。実際、僕が受けた影響ごときで何言ってんの!?なんですけれど、僕の影響ごときで向き合うことで、「あ、私も向き合っていいんだ」、「俺もダメージ受けてたかもな」っていう方もいるかもしれないな、って思います。
相手の状況に思いを巡らせる、慮るのは大切なこと。それと同じように、自分のことも慮るのも、また大切だなぁって、思います。人と比べてどちらが大きいか小さいかじゃなくて、一人ひとりが持っていることに向き合っていきたいなって。
コロナさんの登場によって
僕がコロナさんの登場によって感じているのは、「本当にそれでいいの?」という問いかけです。コロナさんの登場によって既存のシステムとかやり方とか慣習とかの弱いところが、これでもか!というくらいに露にされました。コロナさんの登場によって、気がついたこと、見直せたこと、改善できたこともたくさんあったと感じています。なので、コロナ禍という一言で安易にいまの状況をまとめたくない自分がいます。
コロナさんの登場によって、大変な思いをされた方にとっては、禍という側面が強いかもしれません。だから、コロナ禍と思う人もいるだろうし、コロナ禍という言葉を使いたい方もいると思います。その思いは尊重するし、そもそも誰が何を思おうが自由なので、それについて良いとも悪いとも思いません。
でも、僕は、コロナ禍という時代でまとめてほしくないな、とも思うのです。
このような僕がつづる言葉だから、あなたのことを傷つけたり、不快にさせてしまったら、ごめんなさい。
ふぅ…。
コロナさんのことを話すのは、とてもセンシティブでつかれるな。そして、こうして印刷されて固定化してしまう言葉にするということに、とてもどきどきしながら文章をつづっています。
できるなら、この文章がない方が、「D45」はずうっと読みやすいだろうな、と思う。それでもこうして、一番はじめにエクスキューズ…おことわりを出しておきたい自分がいるのも、2020年の今ならではなのかもしれないし、僕の今感じている時代の感覚でもあると思う。
そして、この空気感が、表現のしずらさにつながったらいやだなとも感じている。だから、もし、誰かを傷つけてしまっても、表現したい。決して傷つけたくはないのだけれど。
でもね…、きっとこの文章、数年後に読んだら、興味深いと思うんだ。今の空気感とか、僕の緊張がこもっていて。数年後、あのころはそんなに深刻だったんだ、って笑えるのか、まだのんきだったなぁって思うのかわからないけれど、どうせだったら、しあわせな未来にこの本を読んでいたいな、と思う。
あなたもいま感じていることを、いましか感じれない想いを残しておきませんか? その言葉は、きっといつか、「今」を伝える貴重な言葉になると思っています。
2020年10月24日 那珂隆之
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