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「大凧っていつ作るの?」って聞いたら、大きな凧が実際にできたお話

韓国と九州の間に浮かぶ島に暮らし始めて2年が過ぎ、実家より実家な居場所になりつつある小川島。人口は300人をきり、島の子供は10数人。そんな小川島には、長男が生まれたら大凧を作って揚げる伝統行事がある。

「そういえば、小川島って、凧作るよな、いつ作るんやっけ」と島に帰る船に乗りながら思い出したのは8月の初旬。船が波止場に到着すると偶然にも物知りなおじちゃんに遭遇。

「大凧は16日に作るもんばい。今は忙しか。」と。正月でなく、盆に作るもので、盆はみんな忙しいからと。島の盆は、夏休みの島を満喫するために、島には帰省する人がふえるのだ。いつもは、ガラガラな本土と島を、つなぐ定期船もこの頃は、座席を探すこともあるほど、人で賑わう。盆は家族で過ごすから忙しい。16日まで時間もないし凧作りは、盆明けてから誰かに教えてもらおうかなと思った矢先、電話がなった。

「凧はどうするや?」

電話の相手は凧のことを聞いた人とは違うおじちゃん。

どうやら、物知りなおじちゃんから小耳に挟んで、連絡をくれた。経緯を話すと、「こまか(小さな)凧なら作れるばい、16日8時に行く!」材料になる和紙と食紅を準備しておけば大丈夫。どうやら、凧が作れるみたいだ。16日まであと4日の夕方のことだった。

盆の忙しい時に申し訳ないなと思いつつ、感謝の気持ちで、賄いの仕込みを始めつつ、どんな凧ができるのかな、絵はどうしたらいいんやろと不安な気持ちもありつつ当日を迎えることに。

家の中で作業するのかもわからず、とりあえず家を片付けて、スペースの確保。家前も少し掃き掃除しようかと家を出ると、家の前には大きな大きな竹が1本。かぐや姫でも出てくるのかというくらいの竹がある。驚いている内に、おじちゃんたちがバイクで現れ、竹を切り始める。

「・・・」(竹を切るところから手作りなのね)

過去に作られた凧は見たことあるが、どんなふうにして作られるのかは、未知の世界。

とりあえず、切られた竹を一緒に削り細く滑らかにしていく。どうやら、竹のソリを削り平たくしていくようだ。細く細く節も削っていく。1本2本と竹が綺麗に整えてられていく。

「ノリは炊いたか?」

・・・(ノリを炊くとは?)

障子紙と竹をノリでつけるかと思ったら、障子紙と障子紙で、竹を挟みノリをつけて、凧を形にするらしく、そのノリは温めている方が剥がれにくく丈夫になるという。

「メリケン粉で炊け」

・・・(メリケン粉で炊け?)
またまた、ハテナワードが出てくる。どうやら、障子紙のノリは手作りできるみたいで、小麦粉と水でゆっくり炊くとドロっとしてきて、ノリを手作りしてしまった。

ノリを作っているうち、竹で作られた凧のフレームも完成。障子紙を図面よりも少し大きめにつなぎ合わせたのだが、まさかのフレームが図面よりも、さらに大きめに作られており、障子紙を再度つなぎ合わせることに。

少しずつ凧になってきた。朝の8時から初めて、無地の凧になるまで4時間。気がつけばお昼に。お昼休憩を挟んで、午後からは凧の絵付けの開始。「下手くそでもいいから、我が子のために書かんかい」と激励され、筆で書くのかと。手に汗握っていると。

「まかせちょけい」とおじちゃんによる下書きが凧にされ、鶴と亀が凧に描かれた。大凧は縁起物で、鶴亀の長寿を願ったり、恵比寿様や大国様で商売繁盛を願ったりする絵を凧に描くのだとか。漁師に商売繁盛はつきものなのだ。

墨入れをした後は、食紅で色鮮やかにしていく。食紅を使うのはじめてで、薄める水の量すらわからないのだが、「塗りながら、水の量は考え」と、とりあえず、やってみようの精神でどんどん凧を色付けていく。

薄めや濃く塗るといいのかなと思っていると、「凧は高く高く飛ばすもん、そんなんじゃ見えんよ」と。遠くから見ても映えるように、色濃く塗るのが凧の醍醐味のようだ。

あーでもない、こうでもないと言いながら、色付けしていると、途中で食紅が足りなくなる。島中の家に電話をかけまくり、食紅を集める。島にはコンビニはもちろんのこと、スーパーもない。食紅も買いに行くには、船で20分かけて本土にわたり、次の船を待たなくては島には戻ってこれない。こんな時、島の人の一致団結と助け合いは凄いなと、いつも思う。気づけば、塗りやすいように大きなハケも準備されて、凧作りもラストスパートに。

今回の凧は、飛ばす仕様ではないのだが、飛ばす用の紐をつけるのも大事な工程の1つ。昔は島の北側の広場に完成した大凧を揚げて、空に凧を飛ばしたまま家まで無事に凧を連れてくるのも一大イベントだったとか。島も発展し、電信柱が立ち、電線が張り巡らされ、凧糸が絡んでしまうことが度々重なり、凧を揚げなくなり、次第に凧自体も作らなくなってしまったのだ。

飛ばすための凧づくりだど、最初の竹をさらに薄く薄く削り、軽くして飛びやすくする必要がある。親戚で集まり16日の2.3日前から削る作業が盆の恒例行事だったそうだ。

ピンと張った凧糸づけも終わったのは、夕方の16時。半日で終わる小さな凧づくりの予定が、150cmを超える大きな凧となった。何気なく、凧を作りたいと話し、形になってしまったを、

そんな小川島の人がやっぱり好きだと感じる1日となった。

大凧はなぜ、盆に揚げるのか?
それは、盆に降りてきたご先祖様たちが帰って行く時に、子供が産まれたよと、大きな凧を空高く揚げて、いつまでも見守っていてねと、盆を送りだすためだった。

ご先祖様へメッセージの大凧だったのだ。

島には、いろんな文化や慣習がある。そうなんだと、何気なく見たり聞いたりしている事が多いのたが、自分ごとになると、感じ方考え方が変わる。大切な島の暮らしがいつまでも続きますように。

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