第2子妊娠出産期(2)-数字って、からだって。
分娩監視装置のモニターの数字がまた上がりはじめた。「また来た」。腰をトンカチでめいいっぱい叩かれるような痛みが再び襲いかかる。
陣痛室。電気は消えていて、昼間でも部屋の中は少し薄暗い。わたしは自分の身体を「見ず」に、分娩監視装置の数字ばかりを「見ていた」。
本当に陣痛の痛みをわたしの身体が感じているのか。それとも、分娩監視装置の数字が上がったから、痛みがあると脳しているだけなのか。混乱。
出産は女性が全身で感じ得るすべてのものを感じる行為だと思っていた。でも現実にいま私は分娩監視装置の冷たい表示板ばかりみている。時々様子を見に来る助産師さんも、わたしの身体そのものよりも、機械の数値を見ていた。だから、別室にいても大丈夫大丈夫。
分娩監視装置の表示板には、わたしの陣痛の強弱(子宮収縮の強弱)だけでなく、まだ胎児である娘の心拍数も表示される。部屋には娘の心拍の電子音が鳴り続けている。あれは本当に娘の心拍だったのだろうか。母体の私は娘の心拍を身体的に感じることはできない。でも機械はそれを正確に測定している。数字はそれを確かに表している。
もし出産後、助産師さんに「あの心拍音はお母さんを安心させるためのBGMでした」と言われたとしても、わたしはその言葉を信じてしまっただろう。
次にもし出産の機会に恵まれるとしたら、分娩監視装置の数字を見たくないと思った。
そしていま、第2子妊娠5ヶ月。体重管理のため、毎日体重計にのる。妊娠前から体重計にのる習慣はあった。
先週体重計の電池が切れた。電池の予備がなかったから買ってこないといけない。
最近つわりが収まってきて、食欲が増してきた。体重も今の時期のペースにしては増えすぎている。以前はそこまで欲しなかった炭水化物を欲するようになったからだろう。体重計にのるのが億劫だ。
自分のからだの容量に対して、食べ過ぎている感はある。朝方、目を覚ますと胃と腸が重たい。きっとこの感覚にからだが気づけることの方が、体重を数値で可視化して脳で認識するよりも大事な気がする。
わたしは、もうしばらく電池を買いにいくのを先伸ばそうと思った。