見出し画像

語り手がいなくなった世界で。

先日訪れた今年6回目の沖縄。

今回の目的は共同売店の研究だったけど、時間を見つけてここ2、3年の間ずっと行きたかった場所を訪れた。

平和祈念公園

そこは沖縄戦の、戦争の、記憶と記録が残されている場所。

初めて来たわけではないけど、「どうしてこのタイミングで訪れたかったのか」、「実際に来て思ったこと」を記していきたい。備忘録としてね。


“震災を語り継ぐ世代”

以前、どこかで聞いたある言葉がずっと心に残っている。

「震災をしっかり記憶して伝えられるのは当時、小学校高学年だった子がギリギリだ」と。

明確な基準じゃないけど、その言葉はしっくりと自分の中に落ちてきた。

実は、私はこの言葉に後押しされて震災の体験を話している。ってのもある。

もちろん、他にもいろんな理由があるけど、この言葉があったから自分は最後の震災を伝えられる世代という自負が生まれたし、「語ること」の葛藤も越えられた。

きっと個人差はあるけど、およそ10歳という年齢が体験として震災を語れる世代を分けている。少なくとも私はそんな気がする。

“風化”

大きな災害が起きたら、それから節目ごとに取り上げられる言葉。

震災から8年と9ヶ月が経って、風化していることすら風化しているように感じるけど、ある時ふと思ったことがある。

戦争を体験した人たちはどう生きてきたのだろう、と。

目まぐるしい戦後復興を過ごす中で、戦争を知らない世代がどんどんと増えていく。記憶が埋れていく。

今でも、6月や8月になると戦争の風化が報道で伝えられる。

でも、それはおそらくずっと言われてきたことで、一体体験者はどれだけの風化の嵐を越えてきたのか。

その中で、戦後74年経った今。平和祈念公園が青少年らでいっぱいになっているのを見ると、月並みだが凄い。と感じるのだ。

もちろん、それは多くの要因がそうさせているのだろうけど、、

私も語る者の端くれとして、戦災を伝えてきた人たちに言い表せないほどの尊敬が生まれるのである。

“語り手がいなくなった世界”

もし戦災も同じように10歳が記憶を語れる最後の世代なら、来年で85歳となる。そして11年後には95歳、16年後には100歳となる。

戦災を語れる人がいなくなってしまう世界はそう遠くないのかもしれない。

そうなった世界で私たちは考えていかなければならない。

何ができるのか。何を伝えられるのか。何を語れるのか。

風化の先で。語り手がいなくなった世界で。


2019.12月


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?