うつくしい地獄のはなしがしたい(訳/アマゾンズを見ました)※後半にネタバレ有。
小林靖子先生により創り出され細部にわたり手入れのされた完璧なまでに美しい箱庭の中で繰り広げられる地獄の話をします。
で、ネタバレ無しには語れないんですが、未見の人にぜひ見てもらいたいので前半はネタバレしない程度に、でも見るならここ気をつけてね!という話しをします。ちょっともネタバレ嫌な人は勿論読まないでくださいね。興味はあるけど長いなーどうしようかなーって迷っている人向けです。
そもそもはチェリまほでハマった赤楚衛二さん目当てに最初はシーズン2を1話だけ観てしまったんですが、それをツイートしたところ親切な有識者の方がそれはあまりに勿体無いのでぜひ1から!と止めてくださり、一命を取り留めました。
今では感謝してもしきれないです。(あの時助けて頂いた鶴です!)
これは色んな意味でシーズン1からちゃんと観ないとダメです。ダメ絶対。
以下まだ内容にはそこまで触れないけど一切のネタバレ無しで見たいかたはここまでで。でも絶対に1から見てくださいね。おたくとの約束だよ!!
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さて何でシーズン1からじゃないとダメなのか。話が複雑だから、以外のもっと切実な話しをします。
めっちゃくちゃに グロい。
もうめちゃめちゃにグロい。特にシーズン2。1もそこそこグロいんですけどドラマの手術シーン平気なら大丈夫。なんだけど2がもう結構冒頭の話数からグロい。ぐっちょぐちょ。ほんと久しぶりに画面を一部手で覆った。これはニチアサでは絶対に見せられない。鬼滅の血飛沫どころじゃない。大人でもやばい。
なので、試しにシーズン1を何話か見てみて、このグロさはちょっと辛いかもっていう人は精神衛生の為に見ない方がいい。しかも同じグロ場面がその後何度も出てくる。何度見ても私は慣れなかった。
それくらいグロいです。
世界観の作り込みとか、SF(すこしふしぎ)科学の設定の複雑さなんかはニチアサと変わらないと思います(というかニチアサの設定がそもそも作り込んである)。
ただ、圧倒的に倫理が年齢指定。これはニチアサでやっちゃダメ絶対。
その倫理観も2でさらに超えてくるので、その地ならしという意味でも1から観るのをおすすめします。話の解像度が上がるとか、そう言うのはもう当然として、色んな方面からの心のトレーニングが必要なんですよ2を見るためには……。
あとは、1の人物が結構2にも出てきます。なにより主人公が同じなので、何で彼らが戦っているのか、何をしたいのかが1からずっと変わらずにあってその説明は1で済んでるので2ではそれを前提に話が進みます。なので見てないと8割くらいちゃんと意味が理解できないんじゃないかなと思います。
アマプラの概要欄には新章みたいに書いてあるので大丈夫かなと思って私も最初見てしまったんですけど、全然新章じゃないです。いや新章だけど続きの話なので仕切り直しにはなってないです。
で、赤楚さん=長瀬の出番がどのくらいあるのか気になると思うんですけど、シーズン2は全体通してそこそこ出てきます。がっつり物語に絡むわけではないんですが、なんなら2の1話冒頭から出てきます。やんちゃな高校生役。どーしても長瀬を見たい、という人は2の1話だけ見て刺さったらこの長瀬を堪能するためにシーズン1を見てください。そんなに刺さらなかったらビルドの方がいいと思います。まだYTで見られる2話分しか見てないですが、それこそ出ずっぱりだし。あっちはライダーですしね。
そんなわけで長瀬を見たいならシーズン1から見てください。話数に怯むかもですが面白いので大丈夫です。ながら見でいいかなーと思えたのは最初だけで、シーズン1の3話からはメモ取りながらがっつり観てました。小林靖子脚本はやっぱりとてもとても面白いです(感想文)。
さて!ここからは!ネタバレします!!
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これはやすこにゃんが素材から吟味して丁寧に丁寧に一から創り出した鷹山仁のための地獄なんだな、というのが全26話見終わって思った事でした。
シーズン1からこの構想だったのかそれとも書いていくうちにやすこにゃんが鷹山(もしくは中の人)を気に入ってここまでの地獄を用意したのかはわからないですが(脚本家さんが中の役者さんを気に入って出番が増えた、というのはちょこちょこ聞く話しなので)(アマゾンズはやすこにゃん1人脚本ですし)出てくる登場人物の中で1番に愛を注がれたキャラクターであるというのは間違いないと思います。
それくらい地獄の濃さが違う。
水沢悠がもう1人の主人公、というかむしろ最初に名前のくる方の主人公のようですが、悠の置かれている状況や生まれた理由、生きている葛藤なんて比べ物にならない。
鷹山仁の行動原理はバケモノを産み出してしまったという研究者としての責任からくる自己犠牲(とは本人は思っていないだろうけど)だと読み取れるんですが、そうは言っても限界があると思うんですよね。
こんなにも辛いなら死んだほうがマシだ、と。
死んだアマゾンの屍肉を喰らい、治らない傷口は皮膚が爛れ(あれは戦った後遺症?あのケロイドのような傷はちょっとわからなかった)、自我が保てなくなり、もはや何のために戦っているのかわからなくなっていた時間もあったんじゃないかと。
それでも七羽という最愛の女性が側で支えてくれていたからなんとか生きていられた。
途中まで、なんとか生きていた、程度だったんですよね。鷹山は。
本当は、生きながら、死にたいと思っていたんじゃないだろうか。
力尽きベルトの変身が解け、七羽さんの腕に抱かれながら、このまま永遠に目醒めたくないと思っていたんじゃないだろうか。
シーズン2で現在の鷹山がどういう状況下にあるのかわからないままでも十二分に地獄でしたけど、話数が進んで鷹山の現状がこちらに開示されていくに従っていっそ、いっそこのままま殺してやってくれと何度思ったことかマジで。
だってもう、死の淵にいたんですよ。ほんの少し、握る力を緩めればいつでも死の底に落ちて行けるところにいた。
それをしなかったのは、あのバケモノのいる世界に最愛の人を残して自分だけ死ぬことはできなかったから。生きていたい理由なんてないけれど、死ねない理由だけはあった。
その気持ちだけでなんとか生きていたわけじゃないですか鷹山は。
なのに、もう、死という誘惑を断ち切るために、やすこにゃんの用意した"人参"があまりにもひどい。
最愛の人も、その人との子供も、そこに付随していただろう幸せも、もう何もかも全部自分の手で壊さないといけない。壊すまで死ねない。壊すために生きないといけない。どうしても。
他にもたくさんの地獄がこの物語にはあって、千翼の小さなしあわせがイユの地獄と背中合わせであったり、フクさんの地獄がありえなかった幸せの幻影であったり、もう色々な地獄の景色を一度に堪能できるので地獄に飢えてる人にはなかなかに良い地獄の見本市だと思うんですけど、もう当分はいいですという気分でした私は。