100日後に死ぬシマシマちゃん
人はおよそ100日で死ねる。実際、私は死んだ。別に怪我はない。病気でもない。
ライフゲージのHPではなく、心をゴリゴリけずられていくのだ。
私は接客業の女だった。
「目障りねー」
初対面の人間にこれを言われたことがあるだろうか。
私はある。普通はめったに言われるものでもないと思う。
じゃあ言ったことはあるだろうか。初対面の人間に開口一番、「目障りね」と。
やはり、めったに言うものでもないと思う。相当、尖った言葉だ。普通のお付き合いをしている相手には躊躇うセリフだろう。
機会があるとすれば、新婚旅行になぜか旦那の元カノが付いてきた、などというシチュエーションだろうか。
私はもちろん、誰かの旅行にサプライズでついてったわけでもなく、今カノの邪魔をしたわけでもない。
しかし、言われてしまった。名も知らぬ、初対面の人から。
繰り返すがただ、接客業をしていただけなのだ。
「お客様は神様です」という言葉が浸透して久しく、人間はどうにもこうにも我儘を通したい相手というものを、お母さんと、政治家と、店員に定めたようだな。と、私は長年の接客業経験からつらつらと思うのです。
金を払うのはこちらなので、当然言っていい権利を持っているし、あっちはそれを喜んで受けるべきだと思っている。仕事でしょ!? ちゃんと聞きなさいよぉ!
そう思ってらっしゃる。なるほど仕事の範囲ならそうかもしれない。しかし、何でも言っていいってもんじゃねーぞコラ。
お客様、お客様。ご存じないかもしれませんが、店員の仕事にはお客様の鬱憤晴らしは含まれていないのですよ。
昔、むかしのことじゃった。あれは私がまだ若くて、素直でカワイイ頃だった。
素直でカワイイ頃だったので、ついたばかりの仕事に張り切って取り組んでいた。
小売り販売。繫華街の真ん中にある大きな商業施設で、楽しくお買い物をなさっているお客様の幸せな時間をお手伝いすることがお仕事なのである。
いや、じゃない。わかっている。求められたものをレジに通してお渡しする仕事だ。が、商い手本には書いてある。心をこめた接客こそ至高と。
これは、全くもって正しい。お客は楽しんで買い物できてハッピー。こっちはお金をもらえてハッピー。基本理念、そうなのだ。
そう教えられていた私は、なので、行きかうお客様に感謝の笑顔を浮かべ、丁寧に頭を下げてはお声がけをしていた。
「いらっしゃいませー」
そこに、向こうから身なりの良いレディがやってきた。目が合う。軽く会釈をして後、私はその方にもご挨拶した。
「いらっしゃいませ。いかがですか?」
いかがですか、に合わせて手も添えてショーケースに視線誘導。完璧だ。
私はニッコリ笑った。レディもニッコリ笑った。
そして言ったのだ。
「目障りねー」
言いおいてレディは颯爽と去っていった。何を言われたか理解できなかった私は、ニッコリ顔に「??」の感情を足して、ただレディを見送った。
繰り返すが、会話はこれだけだ。
「いらっしゃいませー」
「目障りねー」
ちなみに、入職三日目の出来事である。
三日でこれ。その後も諸々ありましたともさ。ああスピリッツゲージが減っていく。滅私の気持ち、真心からの笑顔なんて、在庫は三か月で尽きるものなんですよ。
100日後に死ぬ接客業(心が)。
怪我ではないと言ったが、広義で言えば怪我とも病気ともいえるのかもしれない。接客業の「業」はギョウだかゴウだかわからんが、死んだあとでも愛想笑いはできるので、とりあえず怒らせないためにヘラヘラして、ローコストに抑えた仕事を展開していくようになる。
100日を経過した店員さんは、高確率でゾンビだと思う。
ここは、そんなゾンビの心をケズった戦いの記録。愉快な接客あるある話を肴に、従業員同士がクダを巻く休憩所でございます。
喫煙所はあちら。販売機はこちら。
紙コップのリアルゴールドでも啜りながら、ゆるーくおくつろぎください。