ワールドイズマイン(地雷)
接客に正解はない。
もう少し詳しく言えば「どうやってもクレームは避けられない」。
どうやってもです。正しい接客をすればクレームは避けられる信仰が、売り手にも買い手にも蔓延しているのだが、そんなことはない。いや、売り手はわかっているのかもしれない。だが、一度クレームが出てしまえば他に対応の仕方もないので言うのだ。「これからはもっと丁寧に対応しようね」と。
どんなに心からの笑顔でも、どえらいことを言われるというのは前回に紹介した。何もしていない状態で「目障りねー」だ、パーフェクトじゃないか。
接客とは、登山ルートではない。正確には、地雷原である。
正しい道はあるようでない。フルタイムの勤務時間を終えるまで歩かなきゃならないその足元には、どこに埋まっているかわからないお客激おこボムのボタンが無数に散らばっている。
何故このような過酷な行軍になるのかというと、お客様は「ぼくがかんがえたさいきょうのせっきゃく」を求めてくるからである。
こうしてほしい、というニーズは、実はひとりひとり違う。
いろいろ聞きたい人。ともかく急ぎたい人。ちやほやされたい人。ドライがいい人。
「ぼくのかんがえたさいきょうのせっきゃく」はその都度変わってくる。お客は「普通こうでしょう!?」といってクレームをつけるが、普通というものほど多岐に渡るものはないと、賢明な方々ならご存じのはずだ。
例えば「目玉焼きには普通、……」この後に続く言葉が、しょうゆ、ソース、塩、コショウ、マヨ、ケチャップなどスタンダードなものから、味の素、砂糖、ナンプラー、むしろ何もかけない勢までいてまとまることはない。ちなみに私はしょうゆだと思う。
店員も、自分の普通に縛られる。「この目玉焼きにはしょうゆがお似合いですよ」とにこやかに営業すれば、ソースがさいきょうのせっきゃくだと思っていたお客は怒る。普通の数だけ地雷は仕込まれる、ということだ。
誰かが喜ぶ接客は、誰もが喜ぶわけではない。
あれは研修で見せられたビデオだった。
「接客中でも周りへの気配りは忘れずに」というお題を再現動画で説明していた。
お客様への接客中、すぐ横を通りすがった別のお客様にもすぐ気づき、「いらっしゃいませー」と声をかけるのが良い姿勢の店員だ、とそのビデオでは言っていた。
ビデオが終わり、指導員のトークとなった時に「いや、ああは言ってますけど……」と指導員はもごもごと言いにくそうに解説してくれた。
「それやると、怒るお客さんいるんですよねぇ。私が接客されてるのに! って」
気持ちはわかる。私はそんなことではまず怒りはしないが、まあ、それで怒る人が世の中にいるんだろうなぁ、というのはわかる。
「で、言わないと今度は通りすがりの方が怒るんですよね……何も言わないって」
正解ナシ。まさに地雷。
実際に当たったこともある。
スーツを着た壮年の紳士だった。いらっしゃいませも元気に笑顔でお客の前に立つ。これをね……とお客がショーケースに指を立てようとした、そのとき横からスタッフの声がかかった。
「シマシマちゃん、さっきのこれ配送だよね」
「うん」
横を向いたのは一秒。頷いただけ。振り返り、ニッコリ笑って「はい、どれにいたしましょう?」と問えば、客は苦笑し、そして、黙って去っていった。
このときも笑顔で「??」の顔をした。
あれ? 買うんじゃないん? えっ? 客を見送りながらじんわりと、「俺だけを見ろよ」な嫉妬タイプだったんじゃないかと類推した。
類推するしかねーじゃん、まだ会話も始まってなかったんだから! でも「やれやれ」な苦笑で頭を振って去っていったんだから。
ああ、壮年の紳士にはよくある俺様タイプね。と理解はした。がしかし、むしろその思い切った独占欲に、「あらやだ、ベイビーちゃんね」という感想も抱いてしまった。
「なーに、いますよちゃんとママいますよーゴメンねー」と、赤子をぐずらせたママの気分になってしまったのだ。しかもイヤイヤ期かよ。
いつかSNSで流れてきた「客は赤子だと思って対応している」という誰かの言葉に、私は大いに頷いた。共感しかない。
接客だと思っていたら子守だった。軽くホラーではなかろうか。
余所見はよくないといっても、例えば横を歩いてる人がぶつかってきたときに「あ、すみません」と反射的に言うことはある。そういうのでも余所見に含まれる。そのくらいシビアな当たり判定なのだ。大変なのだ子育ては。ああいや、接客は。
イヤイヤ期を体験なさった親御様たちはよくご存じのことと思う。
接客に正解などない。あるのは右と左、どっちの地雷を踏む? という結果論だけなのだ。