2024年のできごと
こんばんは。今日も1日お疲れ様です。
昨年の振り返りでもしようかな~と書いてみました。
良ければ見ていってください☺️
1~3月
前回のnoteにも書いたように、スーパーのベーカリーで母と2人でパートとして働いていました。
社会保険加入、パートしかいない部門の為発注やシフト作成も任される毎日。
時間内に終わらず残業が多かったです。
辞めた後は失業保険をもらいつつ次の仕事を探せたらな~と思っていました。
この頃から母方の祖父母の認知症が酷くなりました。家は隣同士です。
年金だけでは生活がままならず3月は生活保護を需給。もともとやっていた自営業のお店も閉めました。
4~5月
ハローワーク通い。
この頃は目標もなく事務の仕事がしたいな~となんとなく思っていました。医療事務や調剤事務、普通の事務に応募するも面接で落ちまくる毎日。書類すら通らないことも多かったです。
祖父母の生活保護が年金のなんたらが上がったせいで打ちきりになり、また年金で生活するようになりました。
認知症のため電気代や必要経費を上手く払えておらず、我が家で来月から管理しようという話が親の中で出てきました。
6月
祖父母の通帳関係を預かり、使える分だけ渡す日々。
ただ奪われたという被害の気持ち、妄想もすごく毎日窓を叩いたりピンポンしたりで通帳を返せと押し掛けてくる毎日。家族皆疲弊してしまい、2週間足らずで通帳関係を返すことにしました。それでも、返したことを忘れて押し掛けてくるのは変わらずでした。
母が腰の痛みを訴え寝ることが増えました。
土曜日だったためちょっと遠くの休みの日でもやっている整形外科へ行くと、背骨が折れていました。
特に何もなくだったので原因がわかりませんでした。
住んでいる市立病院前への紹介状をもらい、CTを週明け撮ってもらいなと言われ帰ってきました。
週明け市立病院へ行くとレントゲンしか撮らず、痛み止めだけ処方され1週間後と言われました。
1週間後行くと診察のみで、痛いからって動かないのはだめだよと言われてなるべく動くようにと母がなりました。
しかし、6月半ば、痛すぎて力が入らず立てなくなりました。急いで救急車を呼び、搬送されました。
そこでようやくCTを撮り骨転移による骨折だと判明。医大病院に転院となりそのまま救急車で搬送、入院へとなりました。その日の夜中に手術。ボルトを入れ背骨を支えるようなりました。
週2で父と母の面会に行き、リハビリをがんばる母を見ていました。ただ、腰だけでなく何かがありそうだと父と母の様子から感じていました。
月末、主治医に呼ばれ母が肺がんであること。余命も宣告されました。帰ってから、夜。どうしても耐えられず泣いて寝れませんでした。
ただ相変わらずの祖父母。まだ高校生中学生の弟たち。
どうするか、どう伝えるか。迷うことが沢山でした。
とりあえず仕事探しは一旦中止して母と祖父母に集中することにしました。
祖父母は介護認定をしようと市役所に行ったり病院に連れていって主治医意見書(精神科は偏見強い人間なのでかかりつけの内科)を書いてもらい…。
まだ相変わらず押し掛けは続いていました。
父親への暴言も酷く父親の疲労が酷かったです。
7月
しかし母親はリハビリをがんばって、最初は歩けても杖が必要になると言われていた母が普通に歩けるようになり、階段までも登れるようになり。とても頑張ってくれたんだなと感動しました。
弟たちには父から退院前に、伝えることになりました。
泣いて泣いて、泣いて。皆で話しました。
思ってたよりも弟たちは強く、立ち直ってくれました。
母の退院。やっぱり母がいるといないでは家族の雰囲気も違いますね。楽しい我が家が返ってきました。
近くの病院(市立病院とは別)に通いつつ抗がん剤治療をすることに。幸いに副作用はなかったです。
ただ、祖父母の攻撃が母親に移動してしまいました。
これはまずいと、地域支援包括センターに頼り、祖父母のケアマネさんに施設を紹介してもらいました。勢いだけで進んでいくなか、私の支援員さんにも相談すると紹介された施設はちょっと…。とのことだったので一旦止めどうするか皆で考えることにしました。
そのケアマネさんにはそこにしないなら自分で探せと言われ、探したもののうまく行かずまた私の支援員さんに相談し包括の上の人に相談してみてごらん?と言われました。
偶然にも、包括のトップが母の昔の知り合いだったため、話してみると施設紹介の人を紹介してくれるとの話だったので紹介してもらい話を進めていきました。
この頃から、いろいろなことがあり自分の将来について考えるようにもなり、関わることの多く少し憧れがあった社会福祉士を目指そうと決めました。
そのために今年度で放送大学を辞め、日本福祉大学に編入しよう。
事務で仕事を探してたけど、福祉の仕事を探そうと考え見つけ、応募。無事面接にも受かりフルタイムパートとして8月~働くことへとなりました。
8月~12月
新しい仕事。ドキドキ。内容はそこまで大変ではなく、時間がちゃんと決まってるところも前より楽でした。しかし、仕事後に吐いてしまうのと朝の動悸、たまにパニック発作はありました。
祖父母は紹介してもらった施設探しの方に頼り、なんやかんやありながらも11月に施設の入所が決まりました。
入所前に、祖父が腹痛で病院受診すると、まさかの大腸がんが発覚しました。ただ他のところに転移はなく手術で治せるとのことだったので安心しました。
診察の流れでそのまま病院のケアマネさんに協力してもらいそのまま施設へ半強制的に入所しました。
今ではなんとか慣れてやっているようです。
施設のブログも元気そうな写真が載っていて安心しました。
母親は抗がん剤治療をしつつ、今までとそんなに変わらない生活。前より涙もろくなり、弱ってしまった母をその度にみんなでハグをして過ごしています。
12月頃から副作用でむくみや下痢が出てきたり、膀胱炎も出てきてしまい抗がん剤治療を中断。
現在はステロイドのおかげで治りそのうちまた抗がん剤治療を復活できる予定です。
長く生きてくれたらいいなと思います。
いまのきもち
母親と家族皆で楽しい思い出沢山作って、楽しく過ごしたいです。
仕事は抑うつとパニック発作で休職中なので、休みは休みだとちゃんと割りきって(できるかは別)休んでいけたらな~と思います。