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22年間のバレーボール競技生活を振り返ってみて(大分三好編)[前半]

 東亜大学4年生の秋頃、大分三好ヴァイセアドラーへの入団を決めました。何度か練習試合をした中で、院長先生から声をかけられたことや、地元(大分県)だったこと、将来は「人と接する職業」に就きたかったことが大分三好に決めた理由でした😌
 同期で入った田中(朝日大学→大分三好→vc長野)とは、大学時代には会話もした事がなかったけど、入団後は毎日一緒に過ごすくらいの仲になっていました☺️

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              (高千穂:田中とのツーショット📸)
 そんな僕らは内定の時、人生で初めての入れ替え戦を経験しました。僕は、当時の応援団長と2階の応援団席から試合を観戦📣
 相手はジェイテクトスティングスで、1日目の結果は3-0とストレートで勝ち切ることが出来ました。明日は1セットを取れば残留確定という状況に、「油断してはいけないですね」と院長先生と話しながらも、正直安心しきっていました。
 2日目、女子の試合が先に行われ、チャレンジ側のチームが勝利し、入れ替わりが決定しました。コートの半分を境に、会場中が歓喜する姿と、肩を落とし悲しむ姿とに分かれていました。僕はその光景を目の当たりにして、「天国と地獄じゃんか…」と心の中で思った。この後自分達の試合があるけど、絶対に同じ光景は見たくない!と思いながら応援の準備をしていました。いざ、試合が始まってみると、絶対に1セットも落とせないという気迫で攻めいるジェイテクトの攻撃に押され、あっという間にセットカウント0-2へ、「嘘だろ、あり得ない、もしかしてこのまま…」そんな不安が頭をよぎるも、必死に応援するしかないと、団長を筆頭に応援団席にいる全員が声をかけ続けていました。しかし、巻き返すことが出来ず、セットカウント0-3でストレート負け、得失点差でも負けてしまい、降格が確定した。
 何も考えられず放心状態になりながら、涙が溢れていました。そんな僕の目に映ったのは、先程見た天国と地獄の世界でした。悲しみと悔しさが込み上げてくるなか、僕の周りには一緒に涙を流すファンの方達の姿がありました。大学を出たばかりだった僕には、ファンの方に対する認識がまだなく、チームの関係者や選手の家族でもないのに、こんなにチームを思って一緒に悲しんでくれる存在がいることにありがたさと、負けたことに申し訳なさを感じていたのを覚えています。そして、この人達をもう悲しませたくない、笑顔にしたい。ファンの方を大切にしたい!そう思うきっかけとなったのが、この経験からでした。(ホワイトデーの日に、さくらんぼ飴と、写真にサインを書いて配らせてもらったこともありました😊)
 

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  (高千穂峡:山田さん・田中・小川さん・細川さん)
 正式に入団してからは、チャレンジリーグから再びトップリーグへと戻るための長い闘いが始まりました🔥
大学時代の練習を耐えてきて、体力には自信があったものの、日々の練習はハードで、ボール練習が終わった後、外でラントレをした時には、僕を含めWS陣が全員足を攣って全滅してました😂
 僕は身長もそんなに大きい方ではなく、レシーブも他のWSに比べて上手かった訳ではなかったため、スタメンで試合に出ることは難しいと思っていました。しかし、サーブだけは誰にも負けたくない、自分の役割はピンチサーバーとして、チームの勝利に貢献することだと考えていました。当時の監督であった古田さんから「いいサーブを持ってる」と言っていただき、その言葉を胸にサーブの技術を磨き続けました。
 そんなある日、サーブ練習をしている時に、ミートミスをしたボールがふわりと相手コートのフロントに落ちました。「えっ、これ使えるかも…」と思い、わざとミートミスをするように打つ練習を始めました🤣
これが、後にメンバー内で語られる伝家の宝刀「全力チップサーブ」の誕生秘話です!
(最近はクビアク選手が使うようになり、認知度が一気に高まりましたが、僕は5.6年前から使っていたため、メンバーの誰かが、世界がやっと島さんに追いついてきたと冗談で言ってました笑)
 全力チップサーブの練習し始めの頃は、メンバー内でも「これは絶対いい」という賛成派と、「いや、使えんやろ」という反対派と意見が分かれていました。何を言われても、僕自身は絶対にものにするんだと、信じて練習し続けました。
 技として洗練されてきたころ、チームの🅰️🅱️戦で試してみたり、練習試合で使うようになり、いよいよ公式戦の舞台でその真価を発揮し、サービスエース、サーブ効果率ともに数値を上げ、この必殺サーブが使えることを証明しました✊
 その頃には、初めは反対していたメンバーも、このサーブを認めていました。サーブを練習していく中で、常に頭の中にイメージしていることがありました。それは、入れ替え戦でFC東京と対戦する時に、このサーブを手塚さんの前に打ってサービスエースを取るというイメージを持って取り組んでいたことです!
 そして、遂にその時が訪れたのです、、
大道さんがキャプテンだった年のFC東京との入れ替え戦、スコアも詰まる大接戦の中、僕はピンチサーバーでコートIN!
 僕が練習で思い描いていた景色が目の前にありました。この時、この場面のために準備してきた、迷いはなかった。当時の監督であった小川さんも、メンバーも、みんなが必殺サーブを打つとわかっていた。大声援に包まれる中、僕はエンドライン後方に立ち、受け取ったボールをギュッと握りしめ、「大丈夫、絶対いける!」そう心の中で唱えました。トスを上げ、ヒットする瞬間に応援団席から「シマー!」「せーしろー」と、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。集中しているはずなのに、自然と身体に染みるように声が入ってくる不思議な感覚、声援が力になるってこうゆう事なんだと実感した瞬間でした。ボールはゆっくりと僕の手から離れていき、ネットを越えたところで失速し、体勢を崩す手塚さんの姿、ボールは繋がることなく床に落ちて行きました。心が、身体が震え、コートの中で吠えた。あの1点は僕のバレーボール人生の中でも、一生忘れられない1点になりました。小川さんからも、「あの1点は俺の記憶にも残り続ける」と、そう言ってもらえる価値ある1点でした。結果的には負けてしまいましたが、最も昇格に手が届きそうな入れ替え戦だったと思います!
 この経験から言えることは、試合に出るためには誰にも負けないと思える武器を持つこと、また、新しいチャレンジをする時には、反対する立場の人も出てくるけど、自分の力を信じてやり続けること、練習から本番をイメージして取り組むことが大切だということです。

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   (徳丸さん、安田さん、木村さんの送別会の時📸)
 
最後までお読みくださりありがとうございました😊
大分三好編後半は、看護学校に通い始めたとこからスタートしたいと思います‼️
よければまた見に来てください😌

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