22年間のバレーボール競技生活を振り返ってみて(大学編)
大分工業高校を卒業して、僕は山口県にある東亜大学に進学しました!東亜に行くことになったきっかけはというと、僕が高校2年生の時に、東亜大学に初めて練習試合に行った際、玄関に入り、階段を上って2階から東亜大学が練習している様子を目の当たりにしたときに、「僕はきっとここに来るんだろうな」と思ったんです。笑
何故か?というと、活気ある雰囲気で、一生懸命バレーボールに取り組む姿に心を打たれたからです!また、その練習試合を終えた後に、佐幸先生の方から「うち(東亜)に来ないか?」と声をかけてもらえたことも僕の気持ちを動かしました🥺
先生に対して、「僕はまだ2年生です💦」と答えると、先生は「まだ2年生か⁈笑」と驚かれて、そんな風に笑って話したのを今でも覚えています😌
その後も何度か練習試合を重ね、東亜大学がとても厳しい場所だということも分かってきて、進路を決める時に、本当に僕はやっていけるのだろうかと迷っていました。厳しい環境で自分を鍛えたいという気持ちと、その環境に耐えられるだろうかという気持ちの中で葛藤がありました…
しかし、やっぱり自分を強くするためには厳しい場所を選ぶべきだと覚悟を決め、東亜大学へ入学することになりました。
入学前に新入生合宿があり、当時の4年生の中に新コーチの安田さんや、現サントリースタッフの松崎さんがいました。今では安田さんとベラベラお話しする仲ですが、当時は話しかけるなんてことは出来ませんでしたね💦笑
入学式を終え、僕の大学生活がスタートしました🌸
東亜大学バレーボール部創設以来最小入部数といっても過言ではない⁉︎同期が僕を入れて3人😵💫
華やかな🌼いや、、壮絶なキャンパスライフが幕を開けました😱
東亜のバレー部は全寮制で、基本的には各部屋に2人ずつで割り当てられていますが、1年目の僕達は3人部屋になりました。
東亜には伝統的な決まり事がありまして、寮・体育館編と細かく分けられていました。1年生は食事・風呂の準備や片付け、朝の掃除等🧹の役割がありました。本来なら1年生だけで回すのですが、3人ではさすがに無理…ということで、1つ上の先輩方が一緒にお手伝いしてくださりました💦
そんなある日、朝掃除の時間になっても、3人ともアラーム音でなかなか起きず、寝坊してしまいました😣
布団から飛び起きて部屋の扉を開けるまでの速さが、今までの人生の中でも最速💨であったことは間違いないでしょう😅(ギネス記録では⁈)
東亜は、特に掃除を重んじており、寮の掃除では蜘蛛の巣や埃、ゴミ1つ落ちてないかまで先輩方の厳しいチェックが入ります。体育館では、モップ掛けの担当になると、フロア内の落ちるであろう汚れは全て取り除かなければならず、毎日練習開始1時間前には始めないと終わらない過酷なものでした。
寮のお風呂では、先輩より先にシャワーを浴びる時は、居合わせている先輩全員に、1人ずつ「お先にシャワーを借りてもよろしいですか?」と確認してから使用する程、先輩に対してのリスペクトを叩き込まれました😌
この他にも多くの決まり事がありましたが、当時は大変だなぁとか、厳しいなぁと感じていましたが、東亜は卒業した後に、「社会人として当たり前のことができる人間」を育ててくれる場であり、卒業生は口を揃えて東亜で鍛えられてたから良かったと言うほどです👍
東亜で学んだ「礼節」が、社会人になるための基盤を作ってくれました!
ここからバレーの話しに戻したいと思います。東亜での練習は、授業が終わる16時すぎくらいから全体練習が始まります。大学なので、単位取得が必須のため、その時間に授業がある場合はそちらが優先になります。練習の内容は様々ですが、先生は基本を大事にする指導方針でした。基本的な練習の繰り返しがつまらないと感じるのは百も承知で、「飽きる程練習するんだよ」という先生の言葉は印象に残ってます🙄
練習が終わるのがだいたい19時〜20時くらい?で、それから寮に戻り、食事・風呂・ケアをしたらあっという間に22時は過ぎていましたね😓
小・中・高と常にスタメンで試合に出場していたため、春〜秋にかけて公式戦に出られないことが辛かったのと、先輩にだって負けてないという気持ちから悔しさを抱いていました。そんな僕の気持ちを察し、先生は僕を監督室に呼び話しをしてくれました。「松崎もなぁ、1年の頃はずっと試合に出さなかった、出たいという気持ちが強ければ強いほど、試合に出た時に力が出せるんだよ、わかるか?」(はっきりとセリフは覚えてないけど、ニュアンスはこんな感じでした🤔)
僕は「はい、、」と返答しましたが、内心は納得しておらず、先生は都合のいいこと言ってるだけだと反抗心にかられていました。そんな気持ちを抱えながら、季節は冬を迎えていました❄️
そして、大学生にとって最も重要な大会といえる、全日本インカレ(全日本バレーボール大学男女選手権大会)が近づいてきたころ、某先輩が体調を崩してしまい、本番までに調子が戻るか不安視され、結果的に僕がスタメンで試合に出ることになりました!つまり、僕の公式戦デビューが全日本インカレだったんです🤣
大学生になって初めての公式戦が全国大会、しかし、緊張よりもやっと試合に出れた喜びの方が強く、燃えたぎっていました🔥
その時のスタメンが、WSが伊東さん(パナ)・島﨑、MBが筧本さん(JT)・高橋さん(三好)、OPが牟田さん(サントリー)、Sが橋本さん(サントリー)、Lが坂梨さん(堺)というメンバーでした😳豪華ですな笑
順調に勝ち進み、チームの士気も高まっていくのですが、僕の闘争心に拍車をかけた人物がいました✊
それが、対戦相手の宇都宮大学でプレーしていた大木さん(東レ)です✨
フリースパイクの時に、大木さんのスパイクを初めて見て、衝撃を受けました💦
まるで、コートに雷⚡️が落ちたのではないか⁈というような、高いところから破壊力のあるスパイクを放っていたのです😨
僕は見た目によらず、結構な負けず嫌いで笑
ジャンプ力だけは誰にも負けたくないという信念を高校から貫いてきたので、大木さんを見てワクワクすると同時に、この人に絶対勝ちたいと火が付きました😡
熱戦を繰り広げ、僕ら東亜大学が勝利しました!その後も勢いに乗り、遂には人生で3度目のセンターコートに立つことになりました👊
準決勝の相手は東海大学!圧倒的優勝候補の大学と対戦することに。メンバーは、再び星野くん(東レ)や小澤さん(JT)、さらに、憧れの八子さん(JT)、深津さん(JT)、安永さん(JT)、近さん(WD)などのスタープレイヤーとの闘いに⚔️
1セット目は先取することが出来たものの、勝ちきることは出来ませんでした。3位決定戦では日本体育大学と対戦し、そこでも敗れてしまい、4位という結果で試合を終えました。(この時に高松さん(WD)、山本くん(JT)と対戦しました)
(全日本インカレ準決勝:東亜大学vs東海大学)
先輩達のおかげで、デビュー戦の全日本インカレで4位という成績を収めることができました。ここから華々しいスタートをきるはずだったのですが、、
怪我に悩まされたり、ポジション争いに敗れたり、新キャプテンの方針に納得がいかず、反抗のために同期と逃げだしたり、心もすごく不安定な時期が続きました、、
先生からは、「目が死んでいるぞ、笑顔を見せないと」と、声を何度もかけて頂いたのに、その時の僕には響かず、笑う余裕さえない暗い日々が続きました。
だけど、そんな僕に笑顔を与えてくれたのが、後輩達の存在でした!
毎日誰かしらの部屋に遊びに行っては、一緒にゲームしたり、映画観たり、鍋パしたり、お部屋に泊まったりと、めちゃくちゃ甘えてたし、支えられていました🥺
特に1つ下の、よしお(吉岡:JT)・尚くん(久保山:ジェイテクト)・ヒロキ(橋本:三好)には笑わせてもらったね🤣
今この記事を書きながらも、思い出すとみんな大好きやなぁって思い出に浸ってしまう笑
ホントにあの子達に出会えて良かった😭
(大学4年時の写真:髪長すぎ笑)
その後、「チームのために自分は何で貢献できるのか?」を考えるようになり、少しずつ自分の役割を受け入れることができるようになりました。スタメンで試合に出ることはなくなりましたが、リーグ戦では、ピンサで試合に出ればサーブ賞を獲り、途中交代でオポに入ればスパイク賞を獲りました✊
フル出場したいのは、選手にとって当たり前の事ですが、チームが勝つためにはピンチサーバー等の、ベンチメンバーの力が不可欠だということ、そして、自分自身もこれは俺の仕事だ!と誇りを持って取り組むようになった結果が結びついた受賞だったと思います。4年時の西日本インカレでもピンサで貢献し、チームは優勝🥇僕は最優秀選手賞🏆を受賞しました。ピンサでこの賞を獲ったのは、後にも先にも僕だけではないでしょうか笑
先生の計らいではあるでしょうが、とても嬉しかったし、仲間からも島さんのサーブがなかったら決勝まで行ってないって、言ってくれていました😌
不貞腐れてしまい、挫折しそうな時期を乗り越えて、「今の自分に出来ることを全力で取り組む」ということを学べた大学バレー生活でした‼️
最後まで読んでくださりありがとうございました☺️
振り返り記事もいよいよ大詰め!残すは大分三好編となりました📝
次編も引き続き読んでいただけると嬉しいです😆