地図は土地そのものではない
いつもありがとうございます。
ハートトラスト代表 公認心理師の島幸樹です。
「〇〇さん、その服、かわいいね」と声を掛けると、関西人の人の多くは「そう?これ、安かってん!」と答えるらしいです…笑
服の値段のことを言ったわけでないのに。
これは謙遜だったり照れだったりもあってそう答えてしまうということはあるだろうし、また「安い値段で買うことができた」ということにその人の価値観の高さなのかもしれません。
またある方は、「ありがとう! これね、△△で最近買ったばかりなんだよ」とか「うん、私も気に入ってるんだー」とか言う方もいらっしゃるかもしれませんし、「この色以外に青もあったんだけどね、どっちが良いと思う?」という人もいるかもしれません。
実施兄はもっといろんな返し方をする方がいるのではないでしょうか。
「地図は土地そのものではない」という言葉があって、私はこの言葉が好きです。
「家から学校までの地図を書いて」って言うと、いろんな人がいろんな地図を書いてくれるかと思います。
目印になる建物をわかりやすく書いてくれる子もいれば、距離や方角をわかりやすく伝えようとしてくれる子もいます。
「このへんに大きな犬を飼っている家があるから気をつけて」
「屋根があるところを選んで渡っていったら雨でも平気」
人によってはいろんな注釈を付け加えてくれるかもしれません。
地図というのは、「その人その人の解釈」です。その人の視点や価値観がそこには反映されています。
土地そのものというのは、たとえば家から学校までの場所を上から航空写真でパシャリと撮影したときのもの。だから「現実そのもの」です。
だから「地図は土地そのものではない」というのは、人それぞれの価値観があって、それは現実そのものをあらわしているわけではないよ、という意味で使います。
「わたしってどんな人?」
って何人かの人に聞いてみてください。
そうすると人によって全く違うことを言ってくれることがあります。もちろん重なる部分もあるでしょうけれど、人によって違うことを言ってくれます。
同じ私のことであっても人それぞれ見るところがちがっているはずです。
そしてまた、その人たちの見た私の姿(地図)と、私自身(土地そのもの)はやっぱり違っています。
違っているから面白いです。
Amazonや楽天で何か買い物をしようとするとき、必ずレビューを読んでから買うようにはしていますが、どのレビューの内容もその商品そのものではありません。
ランチをしようと入ったお店でメニューを見て何を食べようかを決めますが、メニューに載っているものはどれも料理そのものではありません。
戦争のことを特集したテレビ番組、戦地の写真や映像、戦争を体験した人の話など、どれも現実に極めて近いものはあるのでしょうけれど、やはり私たちがその戦争そのものを体験することはできません。
人から職場でしんどいことがあってもう辛くて仕方がないという話を聞くと、こちらまでそのお気持ちが伝わってくるのですが、それでもやはりその辛い状況そのものは体験できません。
でも、だからこそ他の人たちの地図に私はとても興味があって、それをもっと聞きたいと思うし、理解したいと思います。
10人いたら10人、100人いたら100人、1000人いたら1000人の地図があります。
その地図は土地そのものではなくて、その体験は出来事そのものではないのだけれど、それでもやはり知りたいと思うのです。
地図の違いこそ楽しみたい。
楽しむという言葉には語弊もありますが、その違いを理解していきたいというのが私の関心のあるところです。
地図は土地そのものではない。
ありがとうございました。
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