主語が大きくなりそうなとき
11月も終わりに近づいてきて、朝や夜が特に寒くなってきました。
ニット帽をかぶっている人も見かけます。
私もニット帽、好きです。
いつもありがとうございます。
公認心理師の島幸樹です。
ニット帽をかぶっているある人に、
「ニット帽、好きなんですね」と聞くと、
「そう、友だちがみんなニット帽が似合うって言ってくれるんです」と答えてくれたとき、それはそれでいいんだけど、直後になんとなくモヤモヤっとしました。
そして、ああ、そうか。
これが「主語が大きい」っていうことだなと後で腑に落ちたんです。
主語が大きいという言葉をどこかで聞いていて、おもしろい表現だなって思っていました。
つまり、「私は〇〇だと思います」というところを、「うちの社員は〇〇だと思っています」とか「若者は」とか「日本人は」というアレです。
「僕は料理が苦手です」と言えばいいところを、「男性はたいてい料理が苦手なものです」と言ってしまうアレです。
主語を大きくしたい心理にはいろいろ複雑にからみあった個々人の内面の事情があるのだと思います。
ひとつには自分の主張が正しいものだと言い切りたいというところでしょうか。
「うちの会社、給料安いなぁ。もっと上げてほしいなぁ。頑張ってるんだからさー」と言うと自分だけの個人的意見っぽいし、わがままなこと言ってるっぽくもありますね。
「ここで働いている人たちは、うちの会社が給料安いからもっと上げてほしいと言っている。みんな頑張ってんだから」と言うと正論っぽい。
でもそれは自分のその主張の自信のなさを隠そうとしているのかもしれない、というのが私自身が主語の大きい話をしてしまうときの自己分析です。
「あの映画、わたしはよくわからなかったなぁ」
「あの映画、よくわからなかったって言う人もけっこういるらしいよ」
ほら、少し主語を大きくしただけで印象が変わります(笑)
「私はこう考えています」というよりも、「私の周りに人たちはこう考える人が増えています」といえば、私の自身のなさからちょっと目を逸らしてもらえそうな、私自身もまた目を逸らすことができるようなそんな気がします。
自信のなさだけじゃないかもしれません。何かいろんなことから向き合うことを避けて通れそうなそんな気がします。
でもやっぱりしっかり自分を生きたいなと思うので、「私は好き・私は嫌い」、「私は正しいと思う・私は間違っていると思う」、「私はこうあるべきだと考えています」と、主語が私なのであればはじめから私で話せるようでありたいです。
それにカウンセリングなどは特にそうですが、「あなたはそうなのですね」「あなたはそう感じたのですね」「あなたは」「あなたは」を大切にしながら、相談者様のお話を聞かせていただきたいと考えています。
「主語が大きくなりそうなとき」
ありがとうございました。