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腹が立ったときに思い出す話(ブッダと悪口)

 人間、いかに立派な人物でも感情がまったくないという人はいないでしょう。誰でも、腹が立ったりすることはあるでしょうし、自分が怒っていないときでも、相手が怒ってきてこまる、ということはあるでしょう。

自分の中で感情が起こらないようにすることは無理な話ですが、感情に「飲み込まれない」ことならできる、それを教えてくれる話を紹介します。

悪口を言われたブッダ 

仏教を開いたブッダ(釈尊、お釈迦様など様々な呼び方がありますが、ここではブッダと書きます)は、今から2500年ほど前のインドを生きていました。ブッダのことを尊敬しない人はいないのではというイメージがありますが、そんなブッダでも悪口を言われるのかと、この話を知ったとき衝撃でした。

見方を変えると、「ブッダでさえ悪口を言われるんだから自分が言われてもしょうがないか」と思えて僕は気が楽になります。
しかし、今回のメインテーマはそこではありません。

悪口は「他人から出された料理」と同じ

ある日、ブッダはとあるバラモン(インドの身分制度、カ一ストの最上位にいる人)からさんざん悪口を言われます。ブッダはカ一スト制度を否定していましたし、ブッダ自身バラモンより位の低いクシャトリヤの出身でした。こうした事もあって、このバラモンは、自分より位の低いはずのブッダが勢力を拡大していくのが嫌だったようです。

ブッダは、バラモンから言われた悪口を黙ってきき、反論したりはしませんでした。

やがて、バラモンのほうが疲れてきたようで、悪口を言うのをやめました。
このとき、ブッダの弟子はブッダに尋ねます

「先生、こんなに悪口を言われたのに、なんで何も言い返さないのですか?」

これに対して、ブッダは、バラモンに向かって次のように言います

ブッダ「もしあなたが、自分の家に来た客に対して料理をふるまったとしよう。そして、その料理を相手がたべなかったとしたら、それは誰のものか」
(なお、料理を贈り物とする話もあります)

バラモン「相手が食べないというのなら、その料理は当然自分のものだ」

ブッダ「そうでしょう。悪口も同じで、相手が言った悪口をこちらが受け取らないのなら、その悪口も相手が持ち帰ることになるのだ」

何を学ぶか

僕たちは、生きている以上どうしても他人との軋轢は生じるものです。そして、生きている以上感情をまったくゼロにすることはできないはずです。ブッダだって、悪口を言われて決していい気持ちではなかったでしょう。
しかし、ブッダは「悪口の相手をすると自分にメリットは一つもない」と知っていたのです。

腹が立ち、相手に仕返しをしてやりたいといった感情は瞬間的にわくかもしれません。それは仕方ないことです。けれど、人間は感情の奴隷ではないのです。

人間は、本来誰でも感情を制御する能力を持っています。ただ、このときに「本当は仕返ししたい。けど、周囲の目があるから我慢しなきゃ」などと思っていたら感情の制御はただの苦痛になってしまい、結局は自分の感情に振り回されるといったことになりかねません。

そうではなく、「悪口に反応してしまったら、相手と同じレベルに堕ちてしまう」と考え、ひいては「自分で自分の価値を下げてしまうのだ」と考える必要があります。

悪口をスル一したり、相手に仕返しをしないというのは、相手のために自分が我慢するのではなく、むしろ自分の心を守るためにすることなのです。

腹が立ったときはぜひこの話を思い出して、相手から出されたものを受け取らず、自分の怒りに振り回されないようにしましょう。

僕も以前は家族と口論になることがおおかったのですが、怒りをぶつけているとそれを後々引きずったりして目の前のことに集中できなくなることがありました。怒りや悪口は健康に悪いし、まさに自分の価値を下げる。それは本当だなぁ、と実感しています。昔のように人に感情をぶつけることも減ってきています。
短気だった僕ですらこうなのですから、みなさんも感情に振り回されないことはできるはずです。

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