子どもは「今」を生きている。
理想的な言動を子どもが取らない時。
大人になった時に困らないよう、親たちは口を揃えてこう言うだろう。
将来困ったことになっちゃうよ?
例えばレゴで遊んでそのまんま。
片付けもせずにゲームを始める。
母親は言う。
片付けられない大人になりたいの?
でもそれは今、
わたしたちが大人であるがために思うことであり、子どもは正しい大人を目指して生きている訳では決してない。
もちろん子どもの頃から片付けられる子どもはいるだろう。
親を見て育ったか、そもそもの性質なのか。
それはそれで素晴らしい。
でも目の前のものにただ単純に突進していく。
それはまさに今、ここで生きている子どもならではの、本能のままの姿に過ぎない。
大人のわたしたちにそんなことができるのか。
提出期限のある大事なプリントを出さない。
勢いよく放り出されたランドセルは
玄関でまさかの一晩を過ごす。
お風呂上がりのバスタオルは肝心なところが隠れていない。
簡単に言ってしまえばこんなこと、
子どもにしかできないのである。
おそらく多くの大人たちは
これらの粗相をしないよう、
理性や知性を身につけながら育ってしまうのである。
いわば「今」を本能のまま生きられる
貴重な子どもの時間なのだ。
それを大人が
奪い取ってしまってはいないだろうか。
純粋な子どもの姿を、
摘み取ってしまっていないだろうか。
↑イヤホンを無理やり二つ詰め込む大人なんてきっといない。
子どもたちを見ながら
今日もひとこと多かった自分を反省する毎日なのである。
おわり。
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