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原爆の父 オッペンハイマー
2024年のノーベル平和賞は日本の被団協が受賞した。原爆の恐怖と破滅と破壊を改めて痛感させられる。WOWOWでこの原爆の父とされるオッペンハイマーの人生を追った映画が放送される。映画のテーマ本質とはなんだったのか?戦中の高揚感と戦後の懊悩をクリストファーノーラン監督は映画に於いて如何に描き出すのか?
何と言ってもアメリカアカデミー賞7部門を獲得した作品である。
その完成度を観たい、疑似体験したい衝動に駆られた。
21世紀現在でも殺戮が続く、中東ガサに於けるイスラエルとテロ集団ハマスの戦争。ウクライナでのロシアによる侵略戦争を考察する上で核兵器とは?平和とは?
現在平和がさけばれながら、我が国は核兵器を持つ権威主義体制のならず者国家群に包囲されている。
中国、ロシア、北朝鮮は国際的ルール等一切通じない無法者国家だ。
政治的暴力と恐怖で抑圧と専制を続けている。許すまじ存在であり国際社会の害悪に他ならない。
欺瞞と自己都合に溢れている、ナラティブをインターネットで垂れ流し情報戦を仕掛け続けている。
その恫喝の最初的切札が核兵器そのものであろう。
映像化された作品を観て普段意識する事のない日本人としてのアイデンティティを感じる。テーマが原爆故に複雑かつ強烈な痛痒を。
話が大幅映画からは逸れたが本題は原爆の父の真に迫るヒストリーなのだ。
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共産主義者の摘発即ち、レッドバージ赤狩りの大旋風が吹き荒れる1954年、ソ連共産党のスパイ疑惑を受けたオッペンハイマーは、秘密聴聞会で尋問され追及を受ける。(オッペンハイマー事件])1959年、その事件の首謀者ストローズの公聴会が開かれる。作品はは、これらとオッペンハイマーの生涯の時系列が映像に交錯された形で展開する。
1926年、ハーバード大学を成績優秀首席で卒業したオッペンハイマーは晴れて英国のケンブリッジ大学に留学する。不得意な実験物理学や周囲に馴染めず次第に孤立感を深める環境からホームシックに陥っていたところ、私淑するニールス・ボーアと出会い、彼からドイツの名門ゲッティンゲン大学で学ぶよう助言され移籍を決意する。ゲッティンゲン大学ではヴェルナー・ハイゼンベルクの影響から理論物理学の道を歩み始め
1929年に博士号を取得してアメリカに戻り、カリフォルニア大学バークレー校で助教授となった彼は、理論物理学をアメリカ国内に浸透させるべく教鞭をとる日々を送っていた。
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1936年、スペイン内戦が勃発した。国際的な共産主義の高まりからオッペンハイマーは弟フランクに誘われてアメリカ共産党の集会に出入りしたり、大学内での組合活動など周囲の影響から熱心に左翼活動を行っていた。
1938年、反ユダヤのナチス・ドイツで核分裂が発見される。当初オッペンハイマーは核分裂を否定したが、大学の同僚アーネスト・ローレンスが開発したサイクロトロンで実際に核分裂反応を目の当たりにした彼はそれを化学的応用した原子爆弾実現の可能性を感じていた。実際にドイツはアメリカより原爆開発の分野で先行しており、特にハイゼンベルクの存在もあって時間の問題と考えていた。
1939年、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発っ 欧州で大戦が中盤に差し掛かった1942年10月、オッペンハイマーはアメリカ軍のレズリー・グローヴス大佐から呼び出しを受ける。ナチスドイツの破竹の勢いに焦りを感じたグローヴスは原爆を開発・製造するための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、優秀な科学者と聞きつけたオッペンハイマーを原爆開発チームのリーダーに抜擢した。オッペンハイマーはグローヴスにナチスドイツの原爆開発はアメリカより1年以上先行しており、このままでは間違いなくナチスドイツが先に原爆を製造開発すると力説してリーダー就任を承諾した。ユダヤ人でもある彼は何としてもユダヤ人虐殺するナチス・ドイツより先に原爆を完成させる必要があった。1943年、オッペンハイマーは弟フランクが牧場を営む自身の思い出の地ニューメキシコ州にロスアラモス国立研究所を設立して所長に就任。全米各地の優秀な科学者やヨーロッパから亡命してきたユダヤ人科学者たちを熱心にスカウトして、その家族数千人と共にロスアラモスに移住させて本格的な原爆開発に着手する。周囲を有刺鉄線で囲まれ敷地内から一切出ることを許されない科学者たちはオッペンハイマーに不満を伝えるが、彼はリーダーシップを発揮して精力的に開発を主導、様々な課題をクリアして着実に成果を積み上げていく。同僚たちの中では重水素を使った核融合反応で更に強力な水爆開発を主張するエドワード・テラーの反抗など科学者同士の軋轢対立やオッペンハイマー自身の過去の急進的な左翼活動を防諜部に尋問されるなど今後の人生を予感させる出来事も起きていた。
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1945年5月8日に当初目標としていたナチス・ドイツが全面降伏、科学者たちの中で原爆開発の継続を疑問視する声が沸き起こる。オッペンハイマーはその声を一蹴して未だ戦い続ける日本に投下して戦争を終わらせると断言。原爆開発を継続させるが、投下目標を定める会議でヘンリー・スティムソン陸軍長官に原爆投下への賛否両論がある事を伝えている。1945年7月16日、オッペンハイマーたち開発チームが多大な労力を費やした研究は遂に実を結び、人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させた。原爆の凄まじい威力を目の当たりにして実験成功に歓喜する科学者や軍関係者たちを見たオッペンハイマーは成功に安堵する反面、こう呟く「我は死神なり、世界の破壊者なり」。原爆完成を受けたグローヴスから今後の研究は軍が引き継ぐので完成済みの原爆を出荷するよう指示され、研究所から運び出される原爆をオッペンハイマーは複雑な面持ちで見送る。遂に運命の夏
8月6日、広島へ原爆が投下される。
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広島への原爆投下の連絡を待っていたオッペンハイマーはハリー・S・トルーマン大統領の演説を聞いて原爆投下成功の報を知った。
8月15日、日本がボツダム宣言を受け入れ、無条件降伏と完全武装解除して第二次世界大戦は終結した。所内で開かれた戦勝祝賀会で演説していた彼の目に原爆の熱線で一般市民が無残に皮膚が剥がれ落ちる様、炭の塊と化した遺体や泣き叫び苦しむ人々を幻視する。周囲の熱狂とは裏腹に彼の中に罪悪感と憐憫の念が芽生え始めた瞬間だった。
戦後オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれ、多くのアメリカ兵を死傷から救った英雄として大賞賛されることに戸惑いと困惑、既に戦力を完全に喪失して降伏間近だった日本への原爆投下によって多くの犠牲者が出た事実を知って深く苦悩していた。1949年、太平洋上で偵察機が放射線を検出、事前の予想より早くソ連が原爆開発に成功した事の証左だった。衝撃を受けたアメリカでは原爆より強力な破壊力を用する、水爆など核兵器のさらなる推進が盛んに議論される事態となった。当時、アメリカ原子力委員会の顧問だったオッペンハイマーはソ連との核兵器開発競争を危惧して水爆開発に反対する。オッペンハイマーは自身の国民的な人気を利用して政治的な反水爆運動を展開しており、各所で煙たがられる存在となりつつあった。トルーマン大統領に直接会談を申し入れ、核兵器がもたらす想像絶する余りの甚大な被害を憂慮して国際的な核兵器管理機関の創設と水爆開発の縮小を提案した。
彼はその席上、トルーマンに「私の手は血塗られたように感じる」と伝えたが、トルーマンはハンカチを差し出して「恨まれるのは私の方だ」と答えて会談は終了した。そんなオッペンハイマーの姿勢を弱腰と決めつけたトルーマンは激怒、彼の提案が採用されることは永遠に無かった。その行動から水爆推進派の科学者や政治家との壮絶な対立を深めている事に目を付けた原子力委員長ルイス・ストローズは過去に自身が受けた積年の恨みを晴らすためオッペンハイマーを失脚させるべく暗躍、オッペンハイマーの人生はそれを境に暗転してゆく。
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