韓国戒厳令の失態
韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が12月3日午後11時、「非常戒厳」を宣言した。野党が予算案に激しく抵抗し一向に合意しないことなどを受け、「国政がまひ状態にある」としての対応だった。
戒厳令が出されてから、韓国の国会前には危機感をもった多くの市民が集まった。警官と揉み合い、シュプレヒコールをあげた。国会の内部では190人の議員が戒厳の解除を求める動議を可決した。韓国のテレビは、左翼系市民が軍隊の銃につかみかかる場面を報じた
非常戒厳は、それによって「デモや集会行為の禁止」や「メディアの統制」などが可能になる、きわめて強力なものだからだ。1987年に韓国の民主化が実現して以降、戒厳が宣言されたのは今回が初めてだった。
ユン大統領はこうした動きを受け、12月4日の未明に戒厳の解除を発表。大統領による杜撰な権力の濫用と言わざるをえない状況だが、一方で、すみやかに戒厳解除に至ったのは、戒厳にたいする左翼市民のきびしい行動があったからだろう。
なぜ韓国の市民は、権力の濫用にたいしてきびしい態度をとれるのか。
その背景には、建国以来の軍事政権の抑圧と「強権的な権威主義的政治体制」と「市民による民主化」のあいだで揺れ動いてきた、この30年の韓国の経験があると考えられる。
何故故に権威主義体制の遺産
強権的な政権が「回帰」してくるのか
1980年の光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を超えて』の大ヒットの余勢を駆るように、さる9月8日に封切られた韓国映画『1987、ある闘いの真実』がまたしても好調なようだ。
本作が描くのは、わずか30年ほど前の陰惨な史実だ。1987年1月、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)というソウル大生が、学生運動幹部である先輩についての取り調べ中、水責め拷問で亡くなるという事件が起きた。警察は死因を「心臓麻痺」と偽り、証拠隠滅のため、釜山の家族に知らせる前に遺体を火葬してしまおうと企てる。
オリンピック開催を翌年に控え、全斗煥(チョン・ドファン)の軍事独裁政権は「北の脅威」を言い立てて「北風」を煽る政治を強めていた。
「コリアン・ポリティクス」編集長の徐台教(ソ・テギョ)によれば、朝鮮半島には、分断による危機を理由に正当化された抑圧と暴力、軍事文化をさす「分断暴力」なる言葉があるという。思想犯への拷問はその最たる例だ。当時、多数の連行者たちが「アカ」の罪状を着せられ、拷問に次ぐ拷問で自白を強いられ、心身を破壊されてしまったという。
朴鍾哲事件は南営洞(ナミョンドン)警察「対共分室」の密室で発生したが、真相が闇に葬られることはなかった。現場で死亡診断をした医師の勇気ある証言を機に、民主化運動家だけでなく、記者が、検事が、法医学者が、刑務所看守がーー、そういう「普通の人々」が各自の持ち場で信念を貫き、巨大権力の暴虐に抗おうと行動を起こす。
本作は実在人物たちをモデルに、実名による厳密な事実関係の復元に基づいて、韓国社会が民主化に向かう歴史的動態の一局面を克明に描き出す。
映画『1987、ある闘いの記録』公式
歴史を動かした主体はこれら登場人物たちだけではない。前途ある若者の命を虫けらのようにいたぶり処理した軍事政権の暴力に抗して、全国的規模で階層や世代を超えた民主化闘争が怒涛のように展開された。
続いて6月に起きた李韓烈(イ・ハンニョル)の催涙弾被弾事件は、政治から距離をおく多くの人々を街頭デモへと駆り立て、全斗煥大統領に事実上の引導を突きつけた。映画で唯一の架空人物である女子大生ヨニが示す心の機微は、韓国現代史を内在的につき動かした無数の市民たちの表象である