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戦時中の日本を考察する ①

戦時中の日本は2時間程度で読み切る事が出来た
2冊の戦前の日本と戦前の生活を読み比べてみた。戦争というものは遠い昔の歴史の一コマだと思っていたのだが、この一年半近くに及ぶコロナ禍の様々な激変する生活態様と実に相似いや酷似している気がする。
大正デモクラシー以降、昭和初期は自由で国民は明るく生活していた様だ。明治以来の西洋文化やカルチャーや風俗が街の賑わいを、華やかにしていた。戦前と戦時中は全く別の顔をした日本と日本人があるようだ。全く違う世界がある
然し戦争と共にそれは一変、暗転と絶望となる。
昭和恐慌から満洲事変、日中戦争、2.26事件そして1941年の日米開戦から1945年の敗戦まで
全てが戦時中という名の下に自粛、国民生活が徐々に国家統制され締め上げらる様は70数年後の現在の日本と同じではないにしろかなり似通っているなという感想。戦争という国家の大義で凡ゆる活動が制限され完全封殺されていく。当時と同じキーワードは不要不急や自粛、当時戦地に食糧、物資を最優先で廻す為、遠い外地で兵役につきて命懸けで戦闘に赴く将校や兵隊の事を思って食べることさえ国民は皆!我慢せよ。
これが国家総動員法の骨子、一般家庭にある鍋釜やアクセサリーまで金属が供出要請、英語は敵性語だから表記する事から話すこと外来語さえ禁止、女性の服装まで規制され冴えないモンペ姿を強制、ヘアメイクも禁止。隣組制度でお互いを監視、密告制度を奨励した。現在と同じく酒類の提供も飲食店は禁止され東京市の大半は閉店廃業状態となったそうだ。華美な娯楽も当然自粛から禁止、音楽も洋楽も聴くことさえ禁止され私物レコードまで憲兵に取り上げられて破棄される始末。甲子園大会やプロ野球も東京オリンピックも何もかもイベントは中止、町や村の祭りや盆踊りまで中止させられた。贅沢は敵だ!欲しがりません勝つまではという陳腐な戦争標語が街頭に貼り出され、レジャーや旅行、海水浴、ハイキングも戦局悪化に伴って禁止される。戦局は事実は全く報道されないから国民は日本軍の勝利をひたすら信じて耐え忍ぶ卑屈な生活を強いられる毎日。
家族の柱である父や兄弟、男子は悉く応召され
軍事訓練経験もない素人が人数合わせで戦地へ無原則に送られた。残されたのは女子供年寄りだけ
男子のいない家庭の子女は軍需工場の様なより過酷な懲罰的労働に駆り出されたそうだ。

当時の日本国民のメンタリティはそれほど現在のコロナ禍と変わっていないのだろう。同調圧力も同じ、多様性など一切排除された世界で少しでもその他大勢と違う事には集団リンチや人民裁判に近い虐待。 全てはそもそも自粛要請から大勢翼賛会政治による悪法による強制、統制粛清へと恐怖に発展していったそうだから恐ろしい。よくコロナ禍を有事に例えられ、緊急事態法制を憲法に規定するべきとの論もあるが歴史を検証すると一歩間違えると…と考える。
自粛要請から制限から禁止そして統制そして罰として粛清へとエスカレートする悪夢の行程、いつか来た道はどんな事しても避けたいものだ。

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