遊郭
簡単にクリスマスイブの思い出程度にと記しはじめたのに、思った以上に記憶が連なって長文になってしまいました。自分でも驚いています。でも出逢いの奇跡は信じられないほどの体験だったと思っているのですが、その後の展開は未熟な自分が浮彫りになってちょっと躊躇しています。でもここまで来てしまったのでもう少しお付き合いください。
純粋な魂という意味では当時の私は「愛」という力を信じることが出来た時代だった。当然、女性と肉体関係を持つと言うことは結婚を前提としてでしかありえないと思っていたし、吉田松陰を師と仰いでいたので、人は常に相手に対して誠実でなくてはならないといつも思っていた。しかしそういうことに潔癖であることはそれを相手にも求め、同時に寛容性を失いがちになり、当時の私は不器用なほど一図だったとしか言いようがない。でも人間の現実は必ずしもそうではないことに気づくのに、いろいろな経験を積まなくてはならなかったのだが、でもそれは幾分いい加減になったり、不適応現象を繰り返したりしてのことで、そうして誰もが大人になっていくことなんだとわかったのが30歳くらいになってであった。全く不器用な男だったとしかいいようがない…。
彼女はまるで屈託なくその自然のままに振る舞っていたに過ぎないのだが、二人でいる時と他者がいる時の彼女は全く違って見えた。後で友人の女性から聞いてわかったのだが結構有名なチョコレートなどを作っている会社の社長令嬢だということだった。
神戸にいる時は夢中だった為にそんなことを考えることもなかったのだが、当時の貧乏学生には充分金持ちに見える年上の友人たちの会話の内容や雰囲気に溶け込めず、当然政治とは無縁の話だった。「君はゴルフはやったことある」「葉巻を吸ってみないかい」「絵と政治が好きなんだって」「大学で何を勉強しているの」「ご両親は何をしているの」「将来の希望は」「いつも何処で遊んでいるの」「今まで彼女はいなかったの」いろいろな質問をひとしきりされたかと思うと、あとは全く私がいないかのように他の話で盛り上がっていた。
彼女に会えたことは無上の喜びだったが、疎外感はむしろ増して行ったのだった。
それでも次の日に二人で明治神宮に行き、原宿から表参道、青山へと当時の私には洗練されて見えた通りを散歩していると、神戸の楽しかった日々が蘇って来て、その延長線上で心が弾み始めたのだった。しかし私には彼女の男友達のように東京をエスコートできる訳でもなく、また私の中の少し生まれた抵抗感のようものが、何故かより野暮ったく振る舞ってしまうというか、今度はひたすら幕末や明治維新の頃の話ばかりしていた。
一週間の滞在中、彼女と私が会えたのは三日間で、不思議なことだったが、友人のキョウコに「今日はナオコが仕事なので、私が代理でお付き合いするようにと言われているの、つまり監視役かしら」と二日間は呼び出されたのだ。友人は特に銀座をいろいろ連れまわして、はじめて入る高級な割烹やレストランで食事をご馳走になった。そして「シンちゃんでいいわね。いつも同じ服だけど洗濯してる?ちょっと匂うわよ」と、二度目の銀座で待ち合わせした時は、知り合いのメンズの店でジャケットとシャツやズボンを買ってくれたのだ。「うわぁ似合うじゃない。素敵よ。ナオコからとっちゃおうかな」と笑いながらそんなことを軽く言う。「こんなことをしてもらっては」と聞くと、「これはお二人へのプレゼント。私はね、夜は銀座のクラブでホステスをしていたのだけれど、そこに来るお客さんの会社の今は秘書をしているの。それもナオコの会社の取引先で、まぁそういうわけ」と訳のわからないことを話され、それが愛人をしているということを適当に言っているなどとは想像もつかなかった。「ところでナオコと結婚しちゃいな。ほんとうにいい子よ」といきなり直球を投げられて、率直に受けとめることが出来なくて困惑したことが懐かしい。
ちなみに後でわかったことだが、キョウコは彼女の大学の同級生で「愛に生きる女」なのだそうだが、ある高名な作家の愛人だったのだ。そして友人に、私がどうも真面目過ぎて煮え切らない。つまりキス以上のこともしてこないしほんとうに私のことが好きなのかどうかを確かめてと依頼をしていたのだそうだ。そして友人は逆に、私が彼女の婿養子になって会社を将来継げるくらいの力量があるのかどうか、それと政治的に何か危険な匂いがするようだと聞いていたのでその辺を探ってあげるわと退屈しのぎにそのミッションを引き受けていたというのだ。むろんそのことを聞かされたのは随分後の事なのだが…。
「ナオコはあなたのことを愛しているわ。でもどうしてそうなったのか、命の恩人とは言え、こんなに運命めいたものを感じるなんて、自分でも不思議で、これは事故ねと何度も言っていたわ」と教えられた。「私も好きです。しかし今の私では彼女と対等に付き合える力がないのでそれが悔しいです」と言ったことを今でも記憶している。
今になれば銀座のホステスと言われて驚くことは何もないのだが、当時の私には彼女とはまた違った美人で、むしろ謎めいているというか、はっきりとした顔立ちが意志を感じさせると言うかとにかく存在感のある女性で、いわば浅野温子みたいな感じだった。とすれば、彼女は浅野ゆう子みたいなイメージで、そう考えてみるとあれほど男冥利に尽きる時間はなかったのではないかと思えて来る。そんなことは遠く過ぎ去ってより美しく思うものなのかもしれないが、彼女と友人との一週間で、私は様々なはじめての体験をすることが出来たのだった。ディスコに行ったのも、クルーズに乗ったのも、銀座のクラブに入ったのも、金持ちの遊び人たちと話をしたのも、財閥系の会社の社長さんと会ったのも、本が書店に並んでいる作家と会ったのも、軽井沢の別荘というところに行ったのも、200万円もするという茶碗で彼女の点てたお茶を飲んだのも、ゴルフの練習場に行ったのも、東京のいろいろなところに行ったことも、神戸とは違う高級料理を食したのも、そしてホテルでのひとときも…。
それまでひたすら本の世界に人生の真実を求めていた私自身が、現実という魔物を知らされた一週間だったと言える。しかし、21歳の私は自分に全く何もない事を嫌というほど知らされたと同時に、強烈な大人への洗礼を受けたのかもしれない。三歳しか変わらないのにはるかに開きのあるように感じたのも、きちっと彼女との距離を取れなかったのも仕方のないことだと考えるしかない。おそらく相当の立場で経験を積んでいないと彼女とまともに付き合えないのではないかと今でも思う。東京に彼女が不意に現れたことによって一歩踏み込んだ関係になったことも事実だったが、この関係をこの先どう継続していけばいいのか正直言って自信はなかった。
そして、名残惜しく、また彼女は神戸に帰って行ったのです…。
最後までありがとうございます。いよいよ次で完結できそうな感じです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?