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逃げ道の舗装

仕事が嫌い!人間関係も最悪だし!周りは責任の押し付け合いで頼りにならない!
こんな思いをしながら仕事をするのはバカバカしいと感じる。なんせ仕事は人生の一部であるが、全部ではない。仕事のために人生を送るべきではないし、人生は仕事のためにあるわけでもない。仕事を嫌になりながら続けることは、実に人生を仕事に売っている行為だと考えられる。だが、仕事をして自分や家族を生かさなければならない。現在では、人生を人質に仕事をしなければならない。だから仕事をする。これがまさに現実だろう。

しかし繰り返すが、苦しみながら仕事をすることは、仕事のために人生を送っていることに他ならない。苦しいなら逃げ出すべきなのに、生活や家庭のことを考えて、あえて逃げ出せずにいる。これは、人生よりも仕事を優先したと言える。言い換えれば、仕事のための人生にしないとは、苦しみながら仕事をしない、ということではないか。

では、「苦しみながら仕事をしない」、これを実現するためには何が必要だろうか。基本的には、その仕事のスキルを磨くことや、自分の特性に合った仕事や職、所属を選んでいくことなど、様々挙げられる。これらももちろん有効な手段だと思うが、私は、「逃げ道を持っておく」ことが最も「苦しみながら仕事をしない」ことに繋がると感じる。

理由の説明に先んじて、「転職と何が違うのか」について説明したいと思う。転職は自分の社会的な籍を変えること、つまり逃げる行為そのものである。私は、上記の通り、苦しい場合の逃げる行為について大賛成の立場を取っている。そのため、この逃げる行為に対してはプラスのイメージのみが存在していることに留意したい。
その一方で、「逃げ道を持っておく」ことは、その名の通り、「逃げ道の舗装」である。ここでは、実際には逃げていない。逃げられる道を確保しているのみである。特に、「資格の取得」やそれに伴う「進路の確約」が該当する。
ここでさらに、「苦しみながら仕事をする」ということを少しだけ考えてみると、たしかに苦しい環境自体が提供されている事実が、原因の一部に思える。自分ではなく、周囲の環境に帰責性を求めた考え方である。しかし、私は、それ以上に最も重要な原因として、「自身が苦しい環境として捉えてしまっていること」があると考える。この点、転職などとは異なり、事実関係は変えずに「苦しみながら仕事をしない」方法として、「逃げ道の舗装」を取り上げたのだ。この「逃げ道の舗装」だが、もちろん最終的には「逃げる」ことになるだろう。しかし、「逃げることができる」状況を作ることで、「いつでもこの苦しい環境から抜け出せる」という心の余裕を持てると感じる。これが、「逃げ道の舗装」をすべき理由である。

現在我々は、自分自身が原因で「苦しいと知覚してしまいながら仕事をしている」状況だ。今の環境は実は苦しくもなく楽しい環境なのに、自分でそう感じてしまっているだけの可能性がある。そのため、「苦しいと知覚しない方法」があれば、実際の楽しいという感覚になるのではないか。つまり、現状の立場や関係性を変えずに心に余裕が持てる方法として、「逃げ道の舗装」があるのだ。これが、仕事を苦しいと感じる人間たちが、仕事を辞めることを考えるよりも先に行うべきことであり、それがまさに「逃げ道の舗装」である。

この考えに対して、「自分の職場はブラックすぎて、そんなのに取り組む暇もない。非現実的な考え方だ。」や、「出来るならとっくにやっている。」というような反論があるだろう。
まず前者に対しての反論だが、結論から言うと、「逃げ道の舗装」に取り組めないほど辛い職場は辞めて良い!転職活動とか気にせずに、すぐに辞めてしまえ!なぜなら、その仕事によって人生が蝕まれているし、資格取得のために仕事を辞めましたとか言って、次の職に向かう際の口実にすれば問題ないからだ。つまり、「逃げ道の舗装」よりも、何よりも大事なのは、「舗装ができるほどの余裕」である。
舗装する余裕がないのであれば、逃げ道も作れない。そしてこの余裕がない場合は、まさに仕事のための人生を送っていることだ。すなわち、仕事のための人生(苦しみながら仕事をする)→仕事以外に時間を取れない→逃げ道の舗装ができない→今の仕事に埋もれるしかない→仕事のための人生→...というように、循環的にループしていることが考えられる。このループからは抜け出さねば、逃げ道の舗装ができないことを考えると、ブラック企業はそもそも「逃げ道の舗装」をしてもなお、在籍すべきところではないことが考えられる。舗装以外に一手間必要になっているからだ。そのため、ブラック企業だと理解できるその客観性は優れているし、今のうちにその環境から飛び出すべきだ。居ても特別得はない。

次に「出来たらとっくにやってる」への反論だが、「そしたらやれば良い」で済む。基本的に、今の環境に不満を抱いてそれを嘆いてるだけの人は、その不満を改善する努力をしていない。そして何よりも、その自身の不作為としての行動を正当化し続けている人である。つまり、やらない理由を作り続けて、そんなやらない自分を正当化している人なのだ。だから、その人はやれば良い。しかしおそらく、本人は「私は違う。正当な理由があるんだ。」と言って、自覚することはできないと思うが。

「苦しい環境は自分が原因である」こと、そして「やらない自分を正当化する」ことの2つから見て取れることとして、おそらく今の環境に対する不満の原因は、自分にありそうだ。自分で自分をそのような状況にしているのだから、自分でなんとかするしかないのだろう。どんな方法でもその環境からは離れることが第一に考えられるだろうが、その際に有利となるためにも、「逃げ道の舗装」は役に立つはずだ。なんせ転職のための下準備に他ならないからだ。そして我々は、下準備ができていれば、いつでもその実行が可能になる。この心の余裕は、自分の仕事に対する苦しみから解放してくれるはずだ。


苦しいと思いたくないから、心に余裕を持たせる。そのために、「逃げ道を舗装」するべきだ。転職とは違い、事実関係を変えずに心に余裕が持てるため、これが最も初めに行うべきことだろう。

近年では転職やスキルアップなど、現在の仕事に対してどのように作用しようか、そして少し範囲が広くても、現在の仕事に関連する仕事に作用することが、最も取り上げられているように感じます。更には、仕事を人生そのものと捉えるようにも。
しかし、そのような現在の仕事やそれに関連する仕事に対するアプローチするわけではなく、それらと全く異なる選択肢をいくつも持っていることも、同じくらい大事なことだと思います。その仕事にこだわる必要はないし、こだわるからこそ狭い範囲しか見えずに小さい変化にしかならず、結局また仕事のための人生になる可能性もある。また、転職やスキルアップしたからと言って、上司や仕事内容を通じて、仕事の不満が解消されないことも考えられる。そうすると、いくら経っても仕事のための人生を過ごすことになるでしょう。まずは外形ではなく内部を変えていく他ないでしょうね。

現在の日本では、この心の余裕があまりにもなさすぎると感じます。まずは、心に余裕を。そして、自分の人生を「人生」のために謳歌していきましょう。

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