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メモ写真が面白い
「とりあえずメモとして写真を撮っておこう」
「真剣に撮るほどではないけど、忘れないように撮っておこう」
実は、こういう写真は面白く、そして深いです。
美しさを求める写真とは正反対にある写真です。
なぜなら、そこには素の写真、本当の自分があるからです。
メモするということは忘れてはならないことであり、自分にとっては大切なことです。人に見てもらうためではなく、「いいね」と言ってもらうためでもなく、ただ撮った写真です。
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撮影するとき、写真を本格的にやっている人ほど、見栄え良く見せるテクニックを持っています。いわゆる上手いと言われる写真です。でもメモ写真にはそんなこと必要ありません。後からわかるように記録しておくことが目的で、テクニックはかえって邪魔になります。
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何にも考えてない写真、何にも縛られてない写真、肩の力が抜けた写真、それは公開するにも値しない写真です。まるで電話中に紙の隅っこに描く落書きのようなもので、気合を入れて描くものではありません。本人以外何を描いているかさえもわかりません。
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メモ写真も、いい写真を撮ろうとして撮るものではありません。他の人からしたら意味がわからない写真も多くあります。
人のメモ写真を見たとき、
「この人は何を残そうとしたのだろう?」
「何が面白かったのだろう?」
と興味深く見てしまいます。
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人の目を気にしないメモ写真に、写真の真髄が隠されているような気がします。
私が目指している写真は、その場の空気になること、被写体と自分とカメラが一体になることです。それは、何にも力が入っていないメモ写真の延長にあるような気がします。
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メモ写真は、写真のことを考えずに写真を撮るようなもので、実は深いです。「写真という枠を外す」といったほうがいいかもしれません。
そのことをわかりやすく説明してくれている本があります。
オイゲンヘリゲル著「弓と禅」
この本の中には、写真にも通じる重要なことが書かれています。
「的を狙うな」
「無心の離れ」
「弓と矢と的と私とは、相互に絡みあっていて、もはや分けることが出来ません。」
「弓と禅」、お勧めです。
電子版unlimited¥0もあります。
よろしければご覧になってください。