『ウマ娘』におけるワンダーアキュートによって表現されている重大なこと
おおまかなまとめ
ワンダーアキュートという長期間に渡って活躍し続けた競走馬をモデルにしたウマ娘は、3年間というシナリオの中で多過ぎるぐらいの節目が用意されている。そこには他のウマ娘以上に人生の中における競走生活の意味が滲み出ている。
ワンダーアキュートというウマ娘
「誰かの背中を押したい」という素朴な願いが、ウマ娘ワンダーアキュートの原点である。実家がボクシングジムであることで、一歩を踏み出す勇気が多くのものを人に与えていることを学んで育った。そんな彼女は挫けかけていたトレセン学園のトレーナーと出会い、活躍への一歩を踏み出していく……。
以上がワンダーアキュート(以下アキュート)の物語のあらすじとなっている。彼女はスマートファルコンと一緒にダート路線のウマ娘らの中心になる存在でもあり、性格自体はかなりしっかりしたものを肉付けをされている。
細かなネタバレをしたいわけではないので適度に端折っていくが、このシナリオの密度はかなり大きい。筆者の印象ではキングヘイローと同じぐらいに(そのキングヘイローについても語りたいのだがローンチ直後にかなりの方が触れているのでまた何かあったときになるとは思う)
そうした印象を抱く理由はやはり、走り続けることの意味を問いかける内容だからだろう。キングヘイローの場合、それは「才能の証明」という形で表現されていた。では、アキュートの場合はどんな形だろうか。
広がる関係性
彼女はある場面で、「ウマ娘は走るための炎が消えたら人々の前から消えていくしかない」と語る。これは言ってる本人からしたら比喩としての表現であり、本当に存在が消えるわけではないのだが、競走馬の場合は実際それに近いことが起きる。そして「今はそのときではない」と続け彼女はその先長く続くことになる決意をすることとなる。
彼女は個人の競走生活としてだけでなく、ウマ娘ならば走れるだけ走らなくてはという使命感もこのとき抱き込んでいる。これは「誰かのために」から更に踏み込んだ「誰かの中の一人である自分」の自覚であり、彼女の初志と成長が融合した、哲学を獲得している。
この自己の領域の拡張は実のところ、プレイしている私たちにまで及ぶ。競走馬とファン、ウマ娘とそのファン第一号であるトレーナー。それらは拡張を続けて、多くのものを巻き込んでいるのだという一つの宣言として結実している。
現に先述した哲学を獲得するまでの間、トレーナーはアキュートの引退が間近なのではないかという不安と戦い続けている。これは競走馬に対する人間(ここにはファンだけでなく多くの当事者・関係者も含められる)のそれとなんら変わらないし、そもそも人間のアスリート、いや人間そのものに対しても起こる。
そんなアキュートはコパノリッキーやホッコータルマエといったダートで活躍するウマ娘のよきライバルであり尊敬される先輩として、スマートファルコンとはまた違う輝きを長きに渡り放ち続けることとなる。
『ウマ娘』によっていったい何が起こっているか
以上の描写や演出について私は以前、アキュートのシナリオを最初に触ったときの感想としてTwitterで「良質な競馬エッセイ」と表現しており、この記事を書こうと思ったのも元々はそこに起因している。普段ならTwitterで同好の方々とああだこうだ言ってるだけで楽しいのだが、今回はせっかくなのでそれなりの形で書き留めたいと思った。
競馬エッセイ、特に競走馬に焦点を当てたものは、競馬という不確実な競技でありギャンブル、何より物言わぬ動物が相手である以上、自然と自己の人生と重ね合わたものが多くなってくる。競馬好きに文芸に関わる者が多いと言われることがあるのも、こうしたことが影響しているようには思う。
そうしたエッセイ的なものがこのアキュートのシナリオには確かに存在しているわけだが、これは競馬史としてみると画期的なことではあると子供の頃から親が競馬に賭けるのを見てきた身では思う。また、これはアキュートのシナリオに限った話でもない。
「物から体験(コト)」とは近年よく聞く言葉だが、実際に物質的なものから移行するだけでなく、体験の形がスライドする、多様化することでもこれは実現されるように思う。
これまでも文芸やダービースタリオンなどのゲームによってもこれらは起こってきたのだが、もっと踏み込んで競馬を体験できる空間自体が広がったようにウマ娘のブームでは私は感じている。それは最初は認識しにくいのだが、空気の中に成分が入り込んだかのように、確かに影響を及ぼしている。
結び
ウマ娘には時折、そのモデルとなった競走馬への想いに止まらないシナリオが出てくるが、アキュートはその好例の一つとなっている。実際に触れてもらうにはなにぶん、キングヘイロー等と違いガチャの結果に依存するのが残念だが、このテキストで彼女の魅力を少しでも伝えられたなら幸いである。
余談となるが、今回初めてnoteを利用して長文を投稿している。その第一回としてワンダーアキュートを題材にしたのは、一アプリ、一コンテンツとして以上の刺激を受け取ったからで、何かしらそれを形として残しておきたかった。別段、ウマ娘のファン活動だけで利用する気はないのだが、えいやと新しい一歩を踏み出す機会にしてみた。
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