【ウマ娘】ルドルフの「差しけん制」は誰のため? -デバフとライバルの関係-
ウマ娘が自前で持っているデバフスキル、もしくはサポートカードが持っているデバフスキルは「史実でライバル関係にあった競走馬(の脚質)に対するデバフ」になっていると思われる。このことはウマ娘のリリース当初から指摘されていた。
例えば、ライスシャワーが持っている先行けん制はマックイーンに対するものだろうし、ハロライスが持っている逃げためらいはブルボンに対するものだろう。
◽デバフとライバル関係の色々
他にも見てみよう。
グラスワンダーが持っている先行焦り。これは宝塚記念で先行するスペシャルウィークを徹底マークして差し切ったときの想定デバフだろう。
スーパークリークが持っている先行ためらい。これは言うまでもなくオグリに対するものだろう。クリークが勝利した天皇賞・秋の想定だろうか。
ダイイチルビーが持っている逃げためらい、これも言うまでもなくヘリオスに対するもの。パワーサポカのルビーは逃げに対してこれでもかとデバフを持っている。名家のプライドからくる激重感情なのか🫨 ヘリオスが知ったら「ぴえんっ!」と泣いちゃうね。
サクラバクシンオーが持っている逃げ焦り、これはちょっと悩む。「負けたことのあるライバル」という点ではスプリンターズSで敗北したニシノフラワー、マイルでは勝てなかったノースフライトがいるが、どちらも逃げ馬というイメージでは無い。となると3歳(現2歳)時にスプリングSで負けた同期のブルボンに対するものだろうか? 逃げウマ同士、案外ブルボンに負けたことを気にしていたのかもしれない。
スイープトウショウのSRサポカが持っている追込けん制、これは誰向けだろうか? スイープの同期で複数回対戦したライバルと言えるのは、桜花賞を勝ったダンスインザムード、オークスを勝ったダイワエルシエーロがいるが、いずれも追い込み馬ではない。となると一度しか対戦機会はなかったが強烈な印象を残したであろう追い込み馬、ディープインパクトではないだろうか? ちなみにこの対戦(有馬記念)はディープの引退レースだったが、スイープはゲート入りでダダをこねて発走を4分遅延させている。
◽ルドルフの差しけん制とライバル候補
さて、ここからが本題。
ルドルフが持っている差しけん制、これは史実のどの馬をライバル想定したデバフなのだろうか?
無敗で三冠を制したルドルフだが、三冠までの道程は決して平坦ではなかった。特に皐月賞を勝つまでは「ルドルフと同格かそれ以上」と目され、しのぎを削った相手がいた。同期のビゼンニシキだ。差しけん制の対象となるライバル馬の最有力候補はこのビゼンニシキになるだろう。
因縁バチバチ:ビゼンニシキ
ルドルフとビゼンニシキの鞍上は共に岡部幸雄だった。当然、岡部はどこかで両馬を天秤にかけなければならない。そして両馬の直接対決は皐月賞の前哨戦、弥生賞で実現することが決まる。ここまでの戦績はビゼンニシキが4戦4勝、うち重賞1勝(共同通信杯4歳S GIII)。一方のルドルフは3戦3勝だが重賞は未経験。岡部がどちらを選ぶのかに注目が集まったが、「選択するとか迷うとかそういう次元じゃなかった。問題なくシンボリルドルフ」というのが当時の岡部の判断だった。切り捨てられたビゼンニシキ陣営は岡部の選択に憤慨した。
弥生賞当日。
単勝はビゼンニシキが1番人気に支持され、ルドルフは2番人気。因縁渦巻く中でレースが始まる。ビゼンニシキはゲートで立ち上がって出遅れ、先行するルドルフを追う展開になった。最終直線でルドルフの後ろに付けたビゼンニシキが内へ斜行したことで右前肢がシンボリルドルフの左後肢に接触。一歩間違えば転倒落馬する危険な状況だった。ルドルフは接触で負傷していたが勢いは止まらず、1馬身1/4差で勝利した。もうバッチバチである。
続く皐月賞。
ルドルフが1番人気でビゼンニシキが2番人気。レースは先行するルドルフを再びビゼンニシキが追走する展開となった。最終直線では後続を引き離して二頭の一騎討ちとなる。外から抜きにかかるビゼンニシキに対して今度はルドルフが外に斜行して激しく接触。ビゼンニシキは不利を受け、弥生賞と同じ1馬身1/4差でルドルフが勝利した。レースレコードだった。
この斜行によって岡部は制裁を受け2日間の騎乗停止処分となった。だが順位に変更は無かった。当時はラフな騎乗に対する制裁は「失格か騎手制裁」の二択。失格処分は払い戻しに混乱をもたらすこともあり、大レースでの失格はありえない時代だった。JRAはこのレースをきっかけに降着制度(不正騎乗に対する順位変更制度)の導入検討を始めたということであるから、現代の審議基準だとルドルフは降着になっていてもおかしくはない。ともあれビゼンニシキ陣営にとっては無念極まりない結果だっただろう。
その後、ビゼンニシキはNHK杯(当時2000m、GII)を楽勝して日本ダービーに挑むが14着に惨敗。秋に故障引退となり、ルドルフとの再戦はかなわなかった。
もしもビゼンニシキがウマ娘化されたなら、ルドルフに対する感情は激重になりそうだ。その一方で史実ではダイタクヘリオスの父という意外な一面もある。ヘリオスとの絡みは愉快なものになるに違いない。
「絶対」の否定:ギャロップダイナ
差しけん制の対象となる二番目の候補はギャロップダイナだ。
ルドルフが国内で負けた2度のレースのうち、4歳(現3歳)時のジャパンカップはカツラギエースの逃げに敗れたので差しけん制は対象外。
もう一つは5歳(現4歳)時に伏兵ギャロップダイナに差し切られた天皇賞・秋。これは差しけん制の対象候補になる(個人的にはギャロップは追込み馬のイメージだが)。
天皇賞・秋はルドルフにとって不利な要素が重なっていた。
「春の故障(宝塚記念回避)からの休養明けで、秋はぶっつけ本番であったこと」「不利と言われていた大外枠になったこと」
しかし、ルドルフを管理する野平調教師は天皇賞・秋の敗戦後でさえも「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と言い切っている。
一方、負けたルドルフ本人は敗戦後に馬房で悔し涙を流し、その泣き顔を写真に撮られている(実話)。ルドルフのその悔しさが種となって差しけん制が生えてきてもおかしくは…ない…かも?
シンボリルドルフのヒミツ①には「一度見た相手の顔は忘れない。」とある。これは「一度負かされた相手には必ずリベンジする」とも解釈できる。実際、カツラギエースとギャロップダイナに対してキッチリリベンジを果たしている。ルドルフは意外に(?)執着の強さを持ったウマ娘なのかもしれない。
ちなみに、ギャロップダイナの波乱に満ちた馬生については過去記事に書いたことがある。noteを始めた時の最初の記事なのだが、今読み返してみると意外に良く書けている(自画自賛)。興味があればそちらも読んでもらえると嬉しい。
◽関連動画・リンク
1984年 弥生賞映像
1984年 皐月賞映像
1985年 天皇賞(秋)映像
東スポnote
「ウマ娘」の生徒会長!七冠馬シンボリルドルフの帝道を「東スポ」で振り返る