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【薩摩 硫黄島】見よ!この島だけの常識を超えた圧倒的なビジュアルを!

鹿児島県は、天文館から程近い場所にある乗船場から『フェリーみしま』に乗り、憧れの離島である薩摩 硫黄島いおうじまへ。見えてきたのは活火山 硫黄岳の雄大で美しい姿。この記事では、夢中になってカメラのシャッターを切った、硫黄島の自然が持つ圧倒的なビジュアルを写真でご紹介します。

5月の初夏の陽気の中、真っ黒に日焼けしながら歩き回った硫黄島の自然を、難しい話は抜きにして写真を通して少しでも体感してもらえたら嬉しいです。

※タイトルの()内は写真の景色が見える場所です


1.島のシンボルに迎えられ、赤褐色の海と出逢う (船上、硫黄島港)

憧れの島が見えてきた
水蒸気を上げている山が活火山 硫黄岳
思わずズームで寄りたくなる山肌
島の港へ進む 海の色が微かに変わる
そう、この色  硫黄島港
これがこの島の海の色


2.岬のテッペンからこの海を見てみよう(恋人岬公園)

せっかくなので、船好きな私は『フェリーみしま』の入港に合わせて行きました。さあ見えるのはこの絶景!

島の生活で重要な存在である『フェリーみしま』の堂々たる入港
船が通った跡が濃いブルーの道に 赤褐色の部分は海面だけなことが分かります
港へ入った船
『フェリーみしま』が入港時に描いた道
硫黄島港を出て次の寄港、黒島へ
岬の先端から見る 迫り出た岬を沿うようにぐるっと弧を描き進む



《旅コラム》 赤褐色の海が当たり前にある生活

この海の色を見て、真っ先に思い浮かぶ疑問は、何でこんな色なの?という疑問だと思います。その答えは湧き出している温泉水が海水に触れ、水酸化鉄が生じているからだそうです。ほ?酸化した鉄ってこと?つまり錆びた鉄ってこと?面白い話だな、もっと詳しく知りたいなと思いました。
私は、この色になる詳しい理由が知りたくて、島の方々に質問を投げ掛けたのですが、皆さん口をそろえて前置きに「詳しいことは知らないんだけどね…」と言われ、それぞれのお話を聞かせてくれました。何故か大きい魚が釣れること、赤褐色なのは海の表面だけであること、天気や海の状況により見える色合いが違うことなどです。

でもそうですよね、日常に当たり前にあるものって案外詳しい事は知らないでそばにあるものだったりします。硫黄島に住んでいる方にとっては誇りであり特別なものには違いがないだろうけど、当たり前にある日常でもあるのですね。
すごいな。こんな海の色が日常にあるなんて。刻々と表情を変える赤褐色と青い海のコントラスをただただ見る。毎日の生活の側にこんな色の海があるってどんな感じなのでしょう。
私は水彩絵の具に水をたっぷり含ませて、画用紙の上でぼかしたり滲ませたりするお絵描きが好きなので、どうしても赤褐色の絵の具を、青い海というキャンバスに船という筆を使ってお絵描きしている様に見えて仕方なかったです。
島で「どうしてこんな色の海なんですか?」なんて質問しまくったけど、この不思議な海のお絵描きをずっと見ているだけで面白かったし、見れば見るほどこの海を知れたような気がして、この体験が「どうしてこんな色の海なんですか?」に対しての十分な答えだと思いました。
島の皆様、その節はありがとうございました(深々とお辞儀)。
                                              おしまい



3.活火山の恵みを頂きます(東温泉ひがしおんせん

さすが活火山を抱く島!硫黄島には大自然の真ん中にいくつか秘湯と呼ばれる場所があります。私はそのうちの一つである東温泉に行きました。
秘湯と言っても、とても整備されている温泉ですが、写真の通りツルッと足を滑らしたら荒々しい海にサヨウナラなので決して無理はしないで下さいね。あと明るいうちに行って下さい。このことは島の方達からのお願いでもあります。
では、よい入浴を!

ゴツゴツの溶岩石たちがお出迎え 秘湯への入り口
どこを切り取っても生きてる地球を体感できる
待ってました!秘湯 東温泉
降り易い1番下の温泉で足湯 熱くて5秒に1回足を出すを繰り返す
風が強くて他の2つにはたどり着けませんでした
温泉の背後に人工的な建造物が なんだろう?
昔々に冷え固まった溶岩とかですか?フォルムがカッコ良すぎるよ
有識者の方の解説お持ちしております。


4.竹林が織りなす 平安の世と現代を繋ぐ異空間(俊寛堂しゅんかんどう

島の強い日差しを一切遮る空間があります。そして現世からも遮られているのではないかと思わせる、昔々の物語が今なお息づく厳かな場所があります。

治承元年(1177年)、京都・鹿谷でめぐらした俊寛の平家討伐の陰謀が漏れ、藤原成経、平康頼らとともに流されてきたのが鬼界ヶ島と呼ばれた硫黄島です。成経と康頼は後に許され、島を去ってゆきましたが、俊寛だけは平清盛の怒りが解けず一人取り残されました。そして長浜川の上流に粗末な庵を結び、ひとり住んでいましたが2年後の1179年、失意のうちに37歳で亡くなりました。 島の人たちはその生涯を哀れみ、俊寛が行き来した川原に墓を建て、のちに彼の住まいの跡に墓を移転し、俊寛堂として祀ってきました。

引用サイト:鹿児島県観光サイト かごしまの旅
苔の道と折り重なる竹のトンネルを行く
そっと歩き、ふと上を見る
光が導くその先には
俊寛堂しゅんかんどう
美しい編み目
時代を
この島での竹の生命力
強風に吹かれた竹林は生き物のよう


5.歴史の謎 平家伝説が渦巻く場所(平家城跡)

集落があるエリアとは反対側に位置する平家城跡。港から見た硫黄岳の反対側を見ることができます。天気の良い日に海を望めば別名 薩摩富士 開聞岳が見えます。約850年前、俊寛さんもこの開聞岳を見たのでしょうか。その時、俊寛さんは何を思ったのでしょう。

港側から見る硫黄岳とはまた違った山肌
第18代 中村勘三郎さんが硫黄島で歌舞伎「俊寛」を演じた際の記念碑
緑に覆われている部分はほぼ竹
竹に覆われし島
船が欠航した日の海 奥にうっすら見えるのは開聞岳


6.縄文時代に壊滅的な被害を生んだ巨大カルデラ噴火の痕跡(大浦港)

穏やかな牧場の風景に心癒されながら辿り着く先には、この地層剥き出し断崖絶壁の大浦港があります。ここの海水はとても綺麗で透明でした。入江になっているので夏は海水浴も楽しめるそうです。縄文時代(7,300年前)に生まれた造形だということがこの景色の圧倒的な魅力です。

地層がぐわん 夕日に照らされてる
午前中の地層がぐわん
ごろごろ
カタツムリ
休憩中にカメラ目線をくれたヒツジ
ゴジラの背びれ ずっと見てましたが動く様子は無し 安全です


さて、これらの写真、全て炎天下の島を歩き倒して撮影したものなのですが、万年帰宅部、寝るの大好きの私がそれを出来た訳をお教えします!大したことではありませんが。


《旅の覚書》1日2万歩!私が硫黄島で歩き倒せたワケ

3泊4日の硫黄島での島内の交通手段は
・自分の足(徒歩)
・人情(島の方や観光の方が見兼ねて車で拾ってくれた)

の2つでした。

島内での交通手段は徒歩以外にも宿で車を借りることも出来るようですが、決して台数は多くなく数が限られています。それゆえに船でバイクや自転車を持ち込む人も多いように感じました。
硫黄島は起伏が大変激しい場所も多くありますので、島内での移動に車やバイクを使えるのはとても効率がいいと思います。
そんな中、私はせっかくの憧れの島だし余すことなく小さなところも見逃したくないと思い(正直なところ島での狭い道を運転するのが怖いので)、全日徒歩で島を散策することにしました。

まずは私が実際に硫黄島滞在中に歩いた歩数のデータをご覧下さい。

1日ざくっと2万歩!でも恋人岬までの道では途中、車で散策していた観光の方に「こんな急な坂道、本当に歩くの?まだ先は長いよ?」と急斜面で声をかけられご厚意に甘えて乗せてもらったり、こちらもご厚意で島の方に目的地の途中まで乗せてもらったりしていますので、実際は2万歩は超えるのかと思います。

ちなみに1日中家にいる時の歩数

仕事の時でも田舎住まいなので1日3,000歩程です。

こんな私が島を歩き倒せたのは他でもない、出会った方々の優しさなのは間違いないのですが、もっと根本的なことで、炎天下の中、1日2万歩、しかも翌日に疲れを残さず楽しんで歩けた理由があります。

それは、
お肉!食事!
・プライベート空間でリラックスした睡眠
の2つだと思います。
あと、ポッカのキレートレモンで毎日クエン酸を摂取していました。

鹿児島市内のスーパーで買って島に持ち込んだ
いつも買わないような良質で高級なお肉を食べる日々
ここでしか食べられない!
硫黄島 三島村の特産品 アクのない生でも美味しい大名筍

一般的に硫黄島での宿泊は民宿かキャンプになります。
大自然でキャンプがしたい!と私は思いましたが、憧れているだけで一切のキャンプ知識がありません。

そこで、キャンピングトレーラーに宿泊できるこちらの宿泊施設、イオキャラバンパークさんにお世話になることにしました。

キャンプ施設で設備が整っている為に、お肉が好きに焼けるという訳です!

そしてプライベート空間でリラックスした睡眠
トレーラー内はコンパクトで清潔感のある完全なプライベート空間
しかもwi-fi設備もあり、5Gも繋がるという!
帰る予定の船が欠航し、宿泊を1日延長したのですが、その際に予約していた飛行機やら宿やらのキャンセルと再予約をせっせと安定したネット回線で行えたのは本当に助かりました。

カルデラの外輪山の崖下にある
お世話になったキャンピングトレーラー
トレーラー内部
上でも下でも好きなところに寝ていい清潔な2段ベット

言いたかったことはお肉食べて、たくさん眠れば、たくさん歩けるよ!という話でした。日頃、食事を簡単に済ませたり睡眠をおろそかにしているので、このシンプルな2つの事がいかに生命活動に大切かが分かりました。あと履き慣れたスニーカーで行きましょう。

おしまい


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
硫黄島のダイナミックな自然は、遥か昔の多くの物語を語ってくれます。もう壮大が過ぎて何が何やら、とても拙い言葉と写真では伝えきれません。
これからも硫黄島で得た感覚を私なりにいろんな形で出力出来たらと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。

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