すれ違いのシンクロニシティ:”夏しぐれ”と”ラブレター”
”夏しぐれ” 松本隆さん作詞(作曲は筒美京平さん)アルフィーのデビュー曲(1974年)そして”ラブレター”は高見沢俊彦さん作詞作曲の再デビュー曲(1979年)。
どちらもアルフィーにとってはデビュー曲であり、どちらも高見沢さんボーカルの名曲だ。
この5年の間にデビュー作、続作がヒットしなかったり、3作目シングルが発売中止になったり、と自分達ではどうすることも出来ない苦境が続き、高見沢さんはオリジナルの曲を書くのだと懸命に頑張ったらしい。”ラブレター”以降のシングル70作品ほとんど全てが高見沢さんの作詞・作曲だ(”美しいシーズン” と”通り雨”は作曲のみ)。
改めて歌詞を読んでみると・・・偶然なのか、意図してか、”夏しぐれ”は相手からの手紙を読む男性の、そして”ラブレター”は女性の目線で男性からの手紙を読む心情が書かれた曲。
5年と言う長い月日を経て高見沢さんが選んだテーマがかつて松本さんに書いてもらったデビュー曲と同じ、というシンクロニシティにちょっとふふふっとにやけてしまう。
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夏しぐれ(1974)
”夏しぐれ”で彼女からの別れの手紙を繰り返し読んでいる彼。
彼は彼女から切り出された別れを受け入れ、反発や抵抗や悪あがきをすることなく、彼女との想い出を巡りながら”ひとり耐え”ている。
文字を滲ませたのは彼の涙だったのか、彼女が落としてインクを滲ませた涙だったのか。
部屋の外で降る雨のように、向こう側に見える風景をぼんやりと滲ませてしまう、文字と心情と多分景色も滲むというシンクロを美しく見せている。
文字を追うごとに、消えゆく彼女の姿もぼんやりと滲んでしまうだろう。
彼が心の中に見る風景と実際の窓の外の風景(どちらも滲んでぼんやり)が重なりあう、雨の匂いも、肌寒さも感じるかもしれない。
彼は手紙を破ることも、雨の中に裸足で飛び出していくことも、雷鳴のように叫ぶこともなく、ただ彼女のさよならを取り乱すことなく独りで粛々と受け入れている。
そして”乱れ髪”という表現に、艶かしくリアルな恋人たちの愛と、彼女の決して静かではない感情や様子が窺われる。
”乱れ髪”と聞くとどうしても与謝野晶子の歌集・みだれ髪が思い浮かぶが、これは彼女の熱い愛や欲求をストレートに詠んだ歌を集めたものだ。(青空文庫で読めます)別作品をさりげなく仄めかす修辞法のAllusionのようにもとれる。
置き手紙を書いた彼女も自分の感情を素直に表現するひとだったのだろうか、と想像してしまう。
”乱れ髪のような雨”にだけ悲しみの激しさや情熱は投影されているが、彼自身にとっては寂しくも、静かで厳かな愛の終わり。
ラブレター(1979)
愛の言葉が波をうっているのは誰かの涙に濡れたからか、それとも手紙を一度握りつぶしてしまったからだろうか(↓こちらでその部分を詳しく考察しています)
殴る、なんて昭和ー!という悲鳴が聞こえそうだが、私は高見沢さんが”殴って”と漢字ではなく”なぐって”としたことから、彼女は彼が ”別れるなんて許さないぞ!” と叩くのを欲しているわけでも、”目を覚ませよ!”とパシっとされるのでもなく、彼の素直な怒りや戸惑いや苦しさを込めた彼女に対する”激しい情熱” を思いっきりぶつけて、なりふりかまわず引き留めてほしかったのだろうと思っている。
なのに彼は粛々と別れの言葉を受け止め、そのまま去った。
まるで ”夏しぐれ” の彼のように。
”今はそのやさしさのひとかけらもない”、と歌詞が終わるように、自分だけに見せる感情的な側面も ”やさしさ” だと彼女は感じていたのだろうけれど、彼にとっては静かに彼女の決断を受け止めるのが優しさだったのかもしれない。
歌詞を読みながらふと思ったのは、彼女が読んでいる彼からのラブレターは ”古い、懐かしい、今も、想い出の” と形容されるように随分昔に書かれものだったはず。
それなのに何故彼には ”今は そのやさしさのひとかけらもない” のがわかるのだろう。
思いを巡らせていると、生徒たちとの会話が頭に浮かんだ。(*アメリカの私立高校で歴史を教えています)
生徒Mちゃん(15歳)に出来た新しいボーイフレンドO君は、元彼S君の友達だと聞いたときに私はこう尋ねた。
”O君とS君が気まずくならない?”
”先生、彼と別れたのはずーっと前のことよ、もう4ヶ月も前!そんな過去のこと誰も何とも思わないって!(大爆笑)”
4ヶ月・・・私にとってはつい昨日どころか今朝のような(笑)感覚だけど、15年しか生きていない彼女にとっては遠い昔の話。
”夏しぐれ”でデビューした高見沢さんは20歳。”ラブレター”は25歳。
そう考えるとこの”古いラブレター”も私が思うような昔々のものではなく、つい何年か前のものだったのかな、と納得がいく。
そうしたら、偶然に彼を街で見かけたり、人づてに様子を聞いたりすることはあるだろう。流石に20年前とかならそうはいかないが数年ならあり得る。
現在の彼の様子を知る術があるのなら、もう彼には新しい彼女が出来ていたり結婚して子供がいたりしていて、彼女にぶつけるような大きな感情を持っていないこともわかるだろう。
”今は そのやさしさのひとかけらもない”
その最後の一文から彼女は彼を諦めきれていないのが苦しいほどにわかる。
これだけで ”今も私の胸 熱くさせる” のはかつての愛の言葉だけではなく、今も燻っている彼への愛だとわかる。
まだ愛しているのに、”想い出の、恋のかたみ、古いラブレター” と強がってまるで過去を想うかのように繰り返す強がりな女がそこにいる。
そしてあれほどに熱いプロポーズをしてくれた彼はもう全く存在しないのがわかる。
彼は静かに、粛々と、独りで別れを受け入れたのだ。
高見沢さんはもうこの第1作目から文学センス光る天才だった。
この最後の一文でそれまでの彼女の”美しい”後悔や強がりの言葉が一気に砕けて、リアルは惨めに苦しんでいる女が見える。
彼女がラブレターを読み返していたそのとき、雨は降っていただろうか。
その雨に、自分の置き手紙を読みながら涙を静かに浮かべる彼を見ただろうか。
彼が手紙を読み終えてテーブルに置いたとき、激しくなった雷鳴や雨音に、本当は彼女はこんな風な激しい心のぶつかりを欲していたことを悟っただろうか。
別人が作詞した二つの異なる”デビュー曲”だが、ストーリーも背景も、ひょっとしたら雨の匂いや肌寒さやなんかもどこかシンクロしている。
高見沢さんは”ラブレター”を書いたときに”夏しぐれ”を聴いていただろうか。
自分が作った曲で再出発を決めたとき、懐かしく”夏しぐれ”を思い出しただろうか。
最後にこの2曲のシンクロニシティをもうひとつ。
”夏しぐれ”を書いたのは25歳の松本隆さん。
”ラブレター”を書いたのは25歳の高見沢さん。
すれ違ったように見えるけれど、やっぱりクロスしていた、不思議な偶然。
シマフィー
↓このラブレターが一番好き!いつも最後でうるうるする
↓ ”夏しぐれ” 60歳の高見沢さんが20歳に見える名曲