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目から鱗の正しい和訳: "First of May(若葉のころ)” by Bee Gees

5月1日、そのまんまのタイトルなビージーズの "First of May"は日本では”若葉のころ”と訳されていますが、この邦題、歌詞の内容を見ると素晴らしい訳だと思います。

が!

なぜでしょうか、ネットに溢れるどの和訳を見ても ”僕が小さい時はクリスマスツリーが大きかった、みんなが遊んでいるときに自分は恋をしてた” などとなんとも味気ない見たまま直訳の文学性も言葉に潜む美しい意味もなんもかんも無視しているものばかりでがっくりです・・・。
文化の違いなのか、英語の深読みが難しいのかはわかりませんが、せっかくの美しい歌詞なのに悲しい。翻訳発表するならちゃんと細部まで訳そう!

以前も同じような虚しさを覚えて サイモンとガーファンクルのボクサーを訳しました ↓。(そしたら私の訳をパクられてるのを発見したw )


まずは・・・みなさん!クリスマスの歌じゃないよ!


When I was small, and Christmas trees were tall クリスマスツリーが大きくて自分が小さかった=大人・理想の未来に憧れていた幼い自分
we used to love while others used to play 他の奴らが遊びの恋をしているときでも僕たちは真剣な愛を育んでいたんだ
Don't ask me why, but time has passed us by, 
some one else moved in from far away. でもしかたないだろう、時は過ぎてしまい、今は遠くから来た誰かに夢中なんだ

まずこのクリスマスツリーが複数形なことから自分の家にあるツリーではなく、あちこちで見る一般的なツリーで、それがそこら辺に多く存在することがわかります。
が、それ以外にクリスマスの描写は何にも出てこないので本物のツリーの話ではなく、何かの比喩や象徴であることが想像できます。*サビの部分でそれがはっきりします
クリスマスツリーはずっと生き生きと緑で、キラキラして、希望や愛や期待が溢れていて、それでいて聖なるもので手の届かないくらい高い・・・そんなイメージと歌詞の流れからここでのツリーは若者が憧れる対象・大人もしくは未来や理想、の比喩だと私は思います。後の歌詞から見るとツリーを見上げる彼は小さな子供ではなくティーンエイジャーでしょう。Smallは単に年齢や体が小さいだけではなく人間として成長していない未熟な人とも取れます。

なので二行目のplayは子供がおもちゃで”遊ぶ”ではなく、本気ではない”遊び”の恋愛で、そんなチャラチャラ遊んでいる友人たちを傍目に、自分は彼女と真剣に恋をしていた、となります。
Used to はかつてしていたけれどももうしていない習慣に使うので、青春時代は本気の恋愛をしていた(けれどもう今はしてない)のがわかります。

なので次に続く "don't ask me why(聞いてくれるな=答えはわかっているから、もしくは自分でもわからないから)time has passed us by" で彼が大人になるにつれその本気がだんだんと薄らぎ、誰か他の人に心変わりしたのにドッキリしますね。
Move in は引っ越しするときに”入居する”という意味で使いますが、同じように自分のスペース(心でも)が何か・誰かで占められているときにも使います。なので ”誰かが遠くから引っ越して来た” ではなく、”遠くの=君が知らない 誰かが僕の心をいっぱいにしている” ということです。

Now we are tall, and Christmas trees are small, 大人になりクリスマスツリーはもう小さい=自分は成長しあの時思い描いていた憧れ・理想はもうない・小さくなった
and you don't ask the time of day. 君はもうわかりきった質問はしない=聞いても仕方ないと理解している
But you and I, our love will never die, でも僕らの愛は決して死なない
but guess we'll cry come first of May. だけど5月1日が来ると二人とも泣いてしまうんだろうね

歌詞のクリスマスツリーが本物のツリーではなかったことがここではっきりします。というのも

大人になっても本物のツリーは自分より背が高いんですよ(笑)!


なのでここは ”僕らは大きくてツリーは小さい(って訳している人は "はぁぁぁ?" って思わんかったんやろうか)”ではなく、ティーン時代に憧れていた”大人”の姿をとうに過ぎて”大きくなっている”自分を描いていて、もう以前の見ているだけでワクワクしていた"クリスマスツリー=大人" は今はそこまで魅力がない、という比喩です。

Don't ask the time of day の部分も誤訳のオンパレードでした・・・
The time of dayを ”今の時間”と訳し、”もう今何時、って聞かない” と訳されていましたが、それだと何のことやら???ではないですか? 
*クリスマスの日でも”今何時〜”ってそんなに聞かないです、せいぜい聞くのは”サンタさん何時に来る?”くらい。

Ask the time of day とは時計を見れば済むような誰でも答えがわかる質問をする、文脈から彼女がこれまで彼に投げかけた数多の(彼にとってはわかりきっている)WHYも聞かなくなった、もしくは彼女も大人になり、答えがわかりきった質問はもうしない。
そしてそれでもあの本物の愛はなくならないと信じている、First of May =
5月1日(決別の日でしょうか)にはこれから先もふたりは涙を流すだろうけれども。

2番もリンゴの木のことを歌ってるんじゃないですよ!

The apple tree that grew for you and me, 君と僕のために大きくなったリンゴの木=愛が大きく育つ
I watched the apples falling one by one. その”実”が1つづつ落ちるのを見た 果実=甘く熟したもの=愛を感じた時・出来事
And I recall the moment of them all, その瞬間を全部思い出している
the day I kissed your cheek and you were mine. 頬にキスしたあの日や君が僕のものだったあの日(もしくは”頬にキスして君が僕のものになったあの日”)

リンゴの木はエデンの園も思わせますね。赤く大きく甘い熟した実を恋愛の大きなイベントや感情が実る様子になぞらえ、その実がひとつひとつ落ちていく=ひとつひとつの大切な瞬間 を今、僕は思い起こしている・・・そんなフレーズです。
I recall と現在形なので、歳をとり大人になった僕が、かつての甘く儚くそれでいて真剣な初恋を振り返り懐かしく思っているのが2番の歌詞です。

クリスマスツリーもリンゴの木も人生の一部として考えたら、”若葉のころ”は未熟で幼く、それでいてこれからどんどん変わっていく(見た目も中身も)ことが約束されている青春時代にしっくりくる邦題に見えますね。

こうやってちゃんと見ていくと、とても詩的で美しい歌詞でしょう!?
若い頃のあの日を思い出す彼にはぴったりの邦題”若葉のころ” ですよね!
遠い昔に本物の恋をしていた自分と彼女を思い憂う、悲しい曲です。

坂崎さんのラジオで、5月になる頃に桜井さんが歌う First of May が聴きたくなる、と言ってました。 19歳の桜井さんが歌う”若葉のころ”・・・・想像しただけで涙が出ます。素敵なんだろうなぁ〜 アルフィーさんたちの若葉の頃、どんなやったやろう〜ふふふ

シマフィー 




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