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運命に正しく動かされてこの仕事をしている

私は飽き性でひとつのことが長続きしたためしがない。

ピアノの練習、ブッククラブ、学生時代の研究、発掘調査、編み物、大好きなカフェ通い、日記やブログ・・・・いろんなことを始めてはほどほどまで行くと次に興味が移って辞めてしまう。Noteに一年以上も毎日記事を書いているのは自分にとっては奇跡であり、一年以上続けてもまだ楽しいnoteの魅力はすごいな、とも思う。ちなみにアルフィーさんにも全力で愛を捧げて2年になる(前回力を入れたのは30年前でした)が、アルフィーさんが48年続けてくれていてその魅力が未だ進化爆発し続けるからなので、私の手柄ではない。

そんな飽きっぽい私が教師を始めてからもう23年が経ってしまった。

初めての教えると言う経験は今思い出しても苦しい形で終わってしまったが、それから23年、場所は違えどまだ教師をしている。(初めての話はこちら↓)

私はどうして教師という仕事を選んだのか、はっきりした決意や出来事は思い出せないが、それ以外の仕事につきたいという夢もなかった。そもそも大人になったら働くという現実は自分の世界にはなかったように思う。

同級生が就職活動を始め、いろんな企業や職種について詳しくなっていくのを見ながら、自分にもいつかそんなふうに高いモチベーションとこの仕事に就きたいという欲求が生まれるのかな、と不思議に思っていた。

そんな私が選択したのは大学に長く行く(笑)ということで、アメリカの大学ではありとあらゆる分野に手を出し、興味が出るままに専攻・副専攻を ”そんなにとってどうすんの” と呆れられるくらいとった。4つも5つも学士や修士があって何になるんだろうか、それも畑の違うものばかりで、就職に有利とは到底言えない。でも私は未来の損得関係なしに授業を受けまくった。

ようやく学生生活が終わろうという時点でも、私は”こんな仕事に就きたい”という確固とした夢はなかった。大学にずっといたいから、という理由で”大学で教えればいいか”としか思ってなかった。世の中の大学教授に非常に失礼な話である。だけど自分はそんなことしか思いつかなかった。

                 ☆

人生とは不思議なもので自分の成長過程で経験した色んなあれやこれやがうまいこと重なり合い、補い合い、相乗効果を産み、現在の私は高校教師として楽しくやっている(*アメリカの私立校で教師をしています)。大学時代に節操なくとった授業のおかげで1教科の専門ではなく、複数の教科を担当させてもらっていて、飽きっぽいわたしには嬉しい限りだ。学生を中断しアメリカを一旦出て世界をうろうろしながら英語教師をしていた時は異文化に触れ、苦しい経験もし、言語を覚え、自分の特技や才能や欠点や沸騰点を確認でき、その全てが仕事上の役に立っている。

以前私たちは何故勉強するのかを記事にしたときに、全ての学びは自分の幸せを見つけるためとその幸せを続けるためだ、と書いた。

”幸せを形にしたもの”が私にとっては教師という職業で、それを続けることだった。毎日たくさんの15歳にもみくちゃにされ大笑いをし、時には涙を流し、イライラしたり、悔しくなったりしている。それが私の幸せの形なのだ、と改めて思う。

学生時代に学んだ考古学も音楽史も海洋科学も統計学もインド美術もどれもこれも自分の目の前に座る生徒たちと充実した毎日を過ごすために必要だった。ハンガリーで道に迷い、ホンデュラスでスられ、中国でぼったくられ、ギリシャで置き去りにされ、アメリカで車を盗まれ、メキシコで腹を壊し、スペインで差別を受ける・・・そんな嫌な経験も目の前の15歳と向き合い、”教える”ために役立っている。

自分は教師という職業を選んだのかどうかよくわからない。誰かに教師になれと言われたこともなく、教師に向いているとアドバイスも貰っていない。自分ではわからないままに、そうなるように時が、運命が、動かしたような気がする。

教師をしていなかったら何をしていただろう? 懸命に考えたけれど思いつかなかった。ということは自分は正しく動かされたのだな、と信じている。

シマフィー 


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