″不妊″の2文字に呪われた日|不妊キロク1
『私ってもしかして不妊なのかな。』
そう初めて思ったのはいつだったろうか
気づけば自分の深いところに頑固に根付いた
その負の感情が約10年もの間
私を本当の意味で幸せになんてしてくれなかった。
私はバツイチで、再婚して今の子を授かった。
元夫とは交際含めて8年一緒だった
その間子供はずっと欲しくて
避妊はほとんどしなかった
当時の夫が八個上で、いわゆる酒乱、
おまけにヘビースモーカーだったので
当時は正直心のどこかで
″夫に原因があるんだ″
なんて責任転嫁していたけれど
薄々私に問題があるんだろうなと
直感的に思っていた。
「ねぇ、お酒飲みすぎないでよ!タバコも吸いすぎ!子供欲しくないの?」
なんてセリフを繰り返して
自分のせいじゃないと言い聞かせていた。
もうこの頃から常に頭の中には
″私は子供ができないかもしれない″
という思考に強く囚われていた
通勤時子供連れを見るのが辛かったし
妊婦さんをみては
『あの人は何歳で授かったんだろう?』
と気になったし
テレビで「子供が⚪︎⚪︎人います」
みたいに出てきたママの年齢から
いつ授かったのかを逆算したり
高齢で授かった人のエピソードを目にしては
一喜一憂してみたり。
タバコを吸っていた人でも授かっているエピソードで
ホッとしたり。
旦那さん側が年上の人で妊娠しているのをみて
希望を感じたり。
私はなかなか早くに結婚していたので
周りから「子供はまだ?」と
問いかけられることも多かった
そのたび傷つき焦り、悩んでいた。
「子供はまだいっかなーって😄、うちの親も30超えてから
産んでたし、私もそんな感じです」
なんていうのが鉄板だった
当時の夫がいわゆる″ダメなやつ″だったので
2人の間にプロポーズも
指輪も、顔合わせも、結婚式もなかった
ただ籍を入れただけ。
そんな感じだった
だからせめて子供だけは。と思っていた
子供好きな彼も少しは変わってくれるかと
淡い期待も持ちながら…
(まぁ結果的にこの彼は何一つ叶えてくれなかったんですけどね)
この頃から私は何か出来事があるたびに
『でも私子供できないしなぁ。』
と考えるようになった
自分の誕生日が来るたびに焦り
知人が結婚していくと焦り
ささやかな毎日の幸せを、本当の意味で
感じられることもなく。
誰と接していても
子供はいるのかだとかそんなことが気になってしまうし。
なんなら知人に子供が出来ようもんなら勝手に引け目を感じ。
1人でいても、人といても。
何をしてたって異常なほどに
″不妊″の二文字から逃げられなかった
何を考えていても最後には不妊に行き着くのだ。
信じられないと思うだろうが
当時の私の思考はそうだった
不妊に狂わされ、囚われ、呪われていた