どうしてこんなにもお風呂に入りたくないのか。
今、お風呂にお湯をためている。お湯が溜まるまでのひとときが私に許された時間なのだ。あーーーー。お風呂ってなんでこんなめんどくさいんだろう。
まず、準備が面倒である。お風呂に入るためには、いくつかの手順を踏まなければならない。その中で一番面倒なのは、「お風呂を洗う」である。足が濡れるし、手も濡れる。私は犬のように体の一部が濡れるのを嫌う。水でもお湯でも嫌だ。でもあたたかい湯に完全に浸かると気持ちよくなる。
さらに、お湯をためはじめたが最後、ノンストップでレールに乗らなければならない。時に、何かしらの「すごくいいところ」をいやおうなく中断されることがある。うちのお風呂には追い炊き機能がないので、お湯がたまりきったら、とにかく刻一刻とお湯は冷める。そのせかされる感じと言ったら!
「湯張りが終わりました。風呂の蛇口を閉めてから、湯張りスイッチを押してください・・・」この女の声の冷たく頑固なこと…。二回も言わなくていいのに。
湯を張ったら、すぐ入らなければならない、そう思うと、風呂の準備すらなにやら尻込みしてしまう。
仕事を終えて家に帰ったら、誰にも縛られず自由で居たいのに、風呂めが私を縛り付けてくる。ただの湯のたまったおけのくせに偉そうに…。
そして入るとなれば、着衣を脱がなければならない。ここでもまた、若干のストレスがかかる。
特にここは北海道。1年間のほとんどは寒いか涼しい。着衣は私にあたたかい空気の層を与えてくれる。服を着た状態はいまやほとんど自然な状態で、脱ぐことがむしろ、弱点をさらし、皮膚を冷やす危険な行為である。
しかし、ここまでくると案外あとは平気だったりする。風呂に入ってしまい、体があたたまってしまえば、洗うことは苦ではない。むしろ気持ちよい。
さらに湯舟は極楽である。ただし、私はのぼせやすいので極楽は短い。飽きやすくもあるので、黙って浸かってもいられない。そこでさっと出ることになる。
そのあとが、私の地獄である。髪を洗うと髪が濡れる。ものすごく髪が水を吸う。多毛であるため、自然乾燥にすると翌朝まで濡れており、発熱する羽目になる。
ドライヤーと言う文明の利器を活用するも、一苦労である。腕をずっと上げているのは基本的に大変である。確実に30分はかかる。乾ききったときにベストなスタイルになるように乾かそうとすると、「ながら」ではうまくいかない。かかりっきりになるのである。
このように、拘束時間がながく、苦労やストレスの多い壮大なプロジェクトを、毎日毎日行わねばならない。
風呂に入るということは、日常生活の中で、あまりに重たい。
しかし、清潔になり、血行がよくなり、健康になるという代えがたい効能がある。
ただ、ずっと納得がいかないのである。風呂に多くのメリットがあったとしても、かかる時間と手間を考慮するとコストパフォーマンスが悪すぎる。
こんな面倒なことをなんで無給でやらねばならないのか。お風呂に入ったらお給金がほしい。