【番外編】 ご先祖さまを古地図上で発見してしまった話
こんにちは! しまでおです。
今回の記事は単なる思い出話です。気軽にお読みいただければ幸いです。
1.はじめに
私はおそらく多趣味な人間なのではないかと思います。
趣味のひとつに「古地図散歩」があり、時々動画をつくってちょっとした歴史の謎を解いたり視聴者さんに疑問を投げかけたりしてもしています。
この動画では古地図を片手に上野のお山を歩き、新政府軍と彰義隊による上野戦争によって失われたものや残されたものや「遠くへ移動されたもの」を探索しています。
noteとはアカウント名が違うのでご注意ください。
2.先祖の家柄を誇る人
ところで人には、きっとあなたにも「苦手なタイプ」がいますよね?
あなたはどんな人が苦手ですか?
私は先祖の家柄を誇る人が苦手です。
先祖自慢をされると「こいつには誇るべきことが他に何もないのかなあ」と感じます。
家系図を見せられ「ほらぁ! ここぉ!」と言われても閉口するだけです。「で、今のお前はなんなの?」以外に返事すべきことがありますか? そもそもその家系図、99%でっちあげだしね。
※「家系図の古さ」を根拠にしたがる人も多いですが、「偽家系図作成」は室町時代以来の由緒ある古式ゆかしき職業です。
3.親戚の家系自慢にうんざり
きっかけは幼い頃に祖母の葬儀で出会った親戚の言葉でした。
お酒をたいそうお召しになったその方は、お斎(おとき)を終えて自分の部屋に戻り図書館で借りた少年探偵団シリーズ(ポプラ社)の続きを読もうとしている私を捕まえてこう言いました。
「うちの先祖は源氏の殿様と平家のお姫様の悲恋の落とし胤(おとしだね)なんやぞ! お前は知っとるんか?!」
そして正座させた私を前に長い長いお話が始まりました。内容はペラッペラな歴史語りと「だからお前は頑張らんといかん!」という説教でした。
明智小五郎や小林少年の前から忽然と姿を消した青銅の魔人の正体が気になり仕方なかった私は(いやまぁいつもの怪人二十面相なのですが)適当に相槌を打ちながら説教を聞き流していました。しかしその態度がまた相手の癇に障ったようで、他の親戚の方が助け舟を出してくれるまで解放されることはありませんでした。
4.中学生の家系調査
それから数年後、中学生になった私は突如「ようしうちの家系を調べてやろう」と思い立ちました。
それ以降もその方に同じ話を聞かされることがあり、その方に影響を受けた他の親戚の方からも似た話を聞かされることが増えてきて「ほならはっきりさせたろやないか」と考えたからです。
「夏休みの自由研究の課題に困っていた」という理由もちょっとだけあります。
私は親戚の家を訪ね貴重な家系図を拝見し…
なんてことはしませんでした。時間の無駄です。
私は我が家が代々帰依しているお寺にお邪魔して、過去帳を見せていただきました。「学校の自由研究で我が家のルーツを調べているんです!」と言ったらご縁さん(住職)のお母さまが「まあなんて利発な子なんでしょ」と喜んで手伝ってくださいました。
「過去帳」とは、ご先祖の戒名や俗名や没年齢や没年月日などが書かれている、一族の系譜を記録したものです。各家庭に保存されていることもあります。旦那寺(一族が帰依している寺院)にもたいてい保管されています。江戸時代の家系をたどる時に最適なのは当時各村ごとに作られた「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」なのですが、これは明治4年の戸籍法の施行と共に廃止されたため、明治~昭和の初めの系譜をたどる時には過去帳が最も頼りになる資料といえます。
お寺で過去帳をお見せいただくこと数十分。明治初期のご先祖さまにあっさりたどり着くことができました。
住所もわかりました。お寺から自転車で行ける距離でした。
ご縁さんのお母さまに出していただいたお茶をすすりお礼を申し上げ、早速現地へ向かいおんぼろ自転車を漕ぎました。
現地で見つけたのは寂れた墓地と、墓地の外れに放置された、巨大な自然石でできた墓石でした。ついさっき過去帳で確認した俗名がそこには深く刻まれていました。「○○惣○○門之墓」と。
墓参をされていた方や付近の田や畑で働いていらっしゃる方、かつての住所近辺に住まわれているお爺さんやお婆さんに数時間ほど聞き込みを行った結果お聞かせいただいたのは、
「惣○○門さんの二代あと(私のひい爺さん)までは米農家と川漁師をやっていたよ」
「川漁の技術や船は惣○○門さんから受け継いだものじゃないかな」
「分限者(お金持ち)ではなかったよ。ん? あのデカい墓石? 見栄じゃろ」
というわけで私のご先祖さまが、半農半漁の平民であったことがあっさり確定いたしました。
5.そして掃除機を作った
いくら私が図々しいといっても、あっさり終わったこの調査内容を自由研究として発表することはさすがにはばかられたので、夏休みの最終日に「夏の友」を大慌てで片付けたついでに「焼そばUFO」の空き容器で掃除機を作って提出し、なぜかそれが県知事賞だったか市長賞だったかに選ばれました。展示会を見に行ったらモーターが焼きついてすでに動かなくなっており、何だかとても申し訳ない気持ちになりました。
そして同時に賞に選ばれたのが、同級生であった地元の名家の娘さんの自由研究作品でした。現在巨大企業の代表取締役社長を務めていらっしゃる方の妹さんにあたります。
彼女の作品を見て驚愕したことを今でもはっきりと覚えています。セミの羽化における各段階をホルマリン漬けのビン詰め標本にし、それを並べ詳細な解説を加えた素晴らしいものでした。中1の女子がひとりで作成するにはあまりにもアレな作品だったので、その作品を見た者たちは一様にある言葉が喉元まで出かかったったことでしょう。
果たして「その言葉」を口にした者はいたのだろうか?
6.浮かんだ疑問
現地での聞き込み中に少しだけ気になったことがあります。
実は私の苗字はいわゆる「珍名さん」なのですが(仮に玉手箱とします)その地に他の「玉手箱さん」をほとんど確認できなかった、ということです。
私が調査した時だけではなく、明治の初めにも。
明治3年の平民苗字許容令から明治8年の平民苗字必称令に至るまで、日本各地の平民たちは各地域に集住する一族で相談を重ね自分たちの苗字を決めたわけですが、結果的に、狭い地域に同じ苗字を持つ人が多数誕生することになりました。
「同じ苗字の人ばかり住んでいる村や地域」を皆さんもご存じですよね?
玉手箱家は親族が少なかったのかな?
親類から爪弾きにされていたのかな?
そして現地の古老から、いくつか怪しい話も聞きました。
「惣○○門さんから話を聞いた人から聞いた話」だったり「惣○○門さんから話を聞いた人から話を聞いた人から聞いた話」だったりするのですが、
「戸田家(美濃大垣藩主)の内紛で主家を追われた浪人だったらしい」とか
「元は上野に住む幕臣だったらしい」とか
7.発見
んなアホな、と感じ聞いたときは気にも留めなかったのですが、
その数十年後、上記の古地図散歩動画を作るために古地図と現代の地図を虫眼鏡でよっく見比べていたら、
発見したんですよ玉手箱家を。
上野御徒町に。
私の苗字の珍名度からいって、この玉手箱家が私の先祖である可能性が甘デジの大当たり確率くらいはあるのかもしれません。
それでも根拠ゼロな妄想部分を含むエセ家系図に比べれば無限大倍の根拠なのかもしれない確率的に。
仮にこれがご先祖であったとしても身分は御徒(おかち・御徒歩とも書く)なんですけどね。
馬に乗ることも許されない下級武士なんですけどね。
それでも武士は武士です。
※どんなに小さな屋敷でも古地図に名前が書いてあれば武士階級です。商家は灰色で「~町~丁目」と表され個々の家は描かれません。
私が今後「俺の先祖は武士かもしれん」などど人前で言うことは決してないと思いますが(もし言ったら指をさして大笑いしてください)、
万一、万が一ですよ?
もし誰かが私に対して家柄マウントを取ってきたらですよ?
たとえそいつの先祖が名主だろうが庄屋だろうが大商人だろうが、三井だろうが鴻池だろうが住友だろうが、武士でなかったならば、
「下郎控えよ!」
と、言ってやろうかなと思っています。
8.まとめ
ちなみに調査結果を「玉手箱家は源氏のお殿様と平家のお姫様が!」と主張する親戚たちに伝えることはありませんでした。
中学1年にしては賢明な判断をしたと思っています。「それを伝えたとて」ですから。
今回はこれで終わります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!