見出し画像

30代後半で初めて海外へ行く⑤(Day2:ニューデリー)

※前回の記事はこちら

Day2:ニューデリー
 機内では30分ごとくらいに目覚めていた気がする。時折窓から外を覗くと眼下に光の列が連なっている。インド国内のどこを通っているかは分からないが、遠く離れた地でも人の営みがあることを思い知らされる。何度か寝て起きてを繰り返すと突然衝撃が来て着陸。外はまだ夜の暗闇。現地時間で午前4時過ぎ。あっという間である。機内から伸びたタラップはターミナルビルと直接接続しているため、デリーの暑さを体験することなく建物内へ。やがて歩いていくと、海外のパスポート持ってる人はこれを書けという看板とともに必要事項を記入する用紙が置かれた台が並んでいる。ペンを取り出し記入してしばらく進むと入国審査である。インド入国に際し事前にe-visaを取っていた。このビザが曲者で、両親の出身地などを聞かれたり、インド国内での連絡先を聞かれたりする。幸い友人の住所と名前を書けたが、これがない人は宿泊予定のホテル等を書くらしい。それって必要な情報なの、と思ってしまう。とはいえ大使館などに行かなくてもビザが取れるのは親切と言えば親切である。

インド感

 入国審査のホールは広々としている。深夜着の便が少ないからか、人もまばらである。奥へずんずん進むとe-visa専用のカウンターがあるが、どの審査官の前にも1人しか並んでいない。3,4分で自分の番に。事前に調べたとおりe-visaを紙で印刷したものを出す。e-visaとは何だろうと思わされるが、見た感じだとスマホの画面を見せるでもよさそうだった。写真を撮られ指紋を取られて終了。あっという間に2か国目インドへと入国成功である。
 友人との待ち合わせ時間まで2時間以上あるためロビーのベンチに座りラップトップを開き文章の続きを書く。1日1万字もかけてしまっている。先が思いやられる、というか書く時間を費やしすぎてむしろもったいないように思えてくる。要所だけメモっておいて帰国してから書くでもいいかもしれない。大した睡眠は取れていないので座ったまま寝て起きてを繰り返す。睡眠不足は否めない。

 6時30分頃、だいぶ明るくなったころに友人と合流。
 昨年の10月に友人夫妻に津和野に来てもらい会ってから8か月ぶりくらいの再会。彼は高校の同級生ではあるが高校時代にそんなに接点があったわけでなく、大学の同級生でもあるが大学時代にそんな接点があったわけでもなく、大学院出た後に1,2回会ったくらいで、昨年会ったのがそれ以来の10年ぶりくらい、それで8か月後に友人を訪ねてインドまで行ってしまったのであるから、友人関係というものは不思議なものである。
 空港からは友人の車、しかもお付きのドライバーさんの運転での送迎という優雅な旅である。空港を出ていったん友人宅へとお邪魔する。デリー滞在中は泊めてもらえるとのことで至れり尽くせりである。友人宅に着くと友人の奥様とも8か月ぶりに再会。2人を見ていると穏やかな家庭生活なんだろうなということが見て取れるくらい穏やかな夫婦である。仮眠を取るかと言われるも、仮眠取ったら爆睡しそうなので遠慮しておいて、シャワーだけお借りして着替える。お借りした部屋は立派なベッドがあり、飛行機が遅れなければこのベッドで昨晩は安眠できていたのにな、と思ってしまった。厚かましいことこの上なしである。
 そのまま朝食をいただく。冷凍庫の食材処分だから、ということで純日本的な朝食をいただく。家でもここまでの和食食べてないぞ、というような和食を朝からいただき、エネルギー回復。少し落ち着いたところで早速デリー観光へと旅立つ。

 まずはクトゥブミナールへと向かう。
 そもそも今回デリー周辺についてはほぼ下調べなしで友人にほぼ全てお任せすることに。綿密に下調べする旅も悪くないのだが、偶然性が旅を面白くする要素だと思っているため、何の準備もなくその場その場で見たもの感じたものを消化していく、そんな旅の醍醐味を味わう方が今回の旅は楽しいのではないかと思い友人にコーディネートを頼む。
 ということで車で15分ほど移動して世界遺産にもなっているクトゥブミナールへ到着。ただ朝一のためか、人はまばらである。受付の足元で普通に野犬が寝ている。

野犬王国インド

 横には爺さんが謎の細工を見せてくる。昔よく見かけた投げると広がるボールのような物である。

 友人曰くおそらく売りつけようとしているらしいが、話している言葉は英語でもないし下手したらヒンディー語を喋ってるのかも怪しい爺さんのため商売にはなっていない。ただ愛苦しい爺さんではあった。写真は撮っていないが、こんな風に年を取れたら幸せかもしれないと思わせる表情が記憶に残る。
 チケット売り場については、のちにいろんな観光スポットでも見かけるがあまり見た目は変わらない。どこも一緒なのはインド人と外国人で価格が全く違うところ。インド人は50ルピー、日本円で100円弱であるが、外国人は600ルピー、日本円で1100円くらいする。あまり日本では見ない価格設定であるが、海外では一般的な設定なのかもしれない。他の海外の情報を知らないので何ともいえない。日本の第三セクターがよくやる、その自治体の住民は半額みたいなものの延長かもしれないが、それを国単位でやるというのは新鮮な感覚であった。ヘタしたら差別的だと言われ兼ねないなと思う。応召義務のある医師や旅館業法上の宿泊拒否理由リスト以外の理由で宿泊を拒否できない宿でこんなことをやったら差別になるかもしれないが、公共施設に関しては理由付けが可能かもしれない。こういった金額の差は観光税的な機能を果たしているのだろう。
 このあたり、議論はされてはいるものの、議論の法的な整理はあまりされていない印象である。弁護士ドットコムによる記事で少し言及がされている。

 合理的な理由があればよいという意見が多いが、それが議論の本筋かと言われると微妙な気がする。特に今年は姫路城について外国人の入場料のみ上げることについて報道が多少なされている。

 自治体が運営している場合はその自治体が整備運営の費用を負担しているということで、その自治体の住民のみディスカウントするということは問題がなさそうであるが、それが国レベルになったときに応益負担的な考えが妥当するかは微妙なところだろう。外国人にすでに観光税的な金銭負担を負わせているのであれば、応益負担的な考え方からすると外国人も同様に扱う必要があるという方向に働くし、さらに在日外国人をどう扱うかという問題に広げると、国籍で線引きすることにどれだけ妥当性があるかはかなり疑問である。また別の機会に詳しく調べてみるとしよう。

 ※ちなみにこの辺は帰国後考えたことなので、その時はウダウダこんなことは考えていない。そりゃそうか。

 受付でのやり取りを見る限りでは、外国人かインド人かはある程度見た目で判断しているようだ。ちなみに外交官はインド人料金で入れるらしい。あまりそういうことを考えたことはなかったが、外交官を自国民並みに扱うということが外交儀礼の尊重的なところなのだろう。よくわからない。
 でクトゥブミナールであるが、主に石でできたイスラム王朝時代の遺跡である。今年の世界遺産委員会の会場の1つにもなっているとのこと。

 日本にいると塔や建物や床が全て石で作られているような場所にはなかなか行かないので新鮮である。日本でも寺や神社は石畳で作られることがあるが、それは花崗岩やら安山岩やらの火成岩か、溶結凝灰岩のような火山国ならではの堆積岩のようなものが多い。一方インドの建築物等に使われる石は赤いものや砂岩系のものが多く、堆積岩を使うのは珍しいなと思うし、日本の寺院等との景観の差異を生み出している気がする。インド亜大陸と言われるくらいゴンドワナ大陸の頃からの10億年レベルの古い岩体によって国自体ができていることを考えるとさもありなんという感じもする。岩石にはあんまり詳しくないけど。
 あと不思議なのは野ざらしなのに800年も形をとどめているところ。年間降水量が700mm程度で日本の3分の1くらいではあるが、洪水がたまに起きるくらいには大雨も降るようだ。それなのに800年も風化浸食されずに残っているのはかなり不思議な感じがする。雨季と乾季が分かれているとこの程度で済むというところなのだろうか。堆積岩は風化侵食に弱そうな勝手なイメージがあったので意外なところである。地面から少し高いところに石で床というか舞台というか平らな部分を作り、その周りをミナレット(塔)で囲んだような作りである。現役当時はもっと華やかな装飾があったのであろうが、今は石が剥き出しになっている。

ちょうど飛行機が来た

友人の案内の中歩いていくと、元々はヒンドゥー寺院だったものをイスラムのミナレット(塔)に作り変えたために、ヒンドゥーの神様の彫刻の顔の部分がどれも壊されているとのこと。

よく見ると顔がない

 偶像崇拝を否定するイスラム教ならではの特色であるが、どうも塔の上部には顔を物理的に破壊できずに残っているものもあるらしい。またところどころに単なる文様に見えるものもコーランの一説が彫られているとのことで、確かに見てみるとアラビア文字である。
 大学の時1コマだけアラビア語を履修したこともありアラビア文字は少しだけ分かるのであるが、やはり本場のカリグラフィ化したアラビア文字はほとんど分からない。カリグラフィの形に神秘性を感じるのはアラビア語という言語の持つ歴史の表れのように思う。

モノホンのカリグラフィ

 しかし、まだ10時前であるが異様に暑い。日は照り付け体感37,8度はある。ちなみに水分補給は必須とのことでボトルの水を友人に準備してもらっている。たしかに汗がすぐに乾くせいか異様にのどが渇く。普段日本にいても1日3,4リットル水を飲む自分は余計水分を必要としてしまう。周りを見渡すとそんな暑さを物ともせず建造物の間をハトが飛び回りリスが走り回っている。800年前に作られた建造物の内部にはハトが足場を見つけて巣を作ったり休んだりしているし、塔の上の方には水がたまるのか草が生えたりしている。そして建造物の中もべたべた触れるようになっていて、DO NOT TOUCH系の看板は全く出ていない。
 ただ広場の真ん中にある鉄柱だけは侵入できないよう柵が設けられている。どうも風雨にさらされても錆びない鉄柱らしい。当時の卓越した技術を用いた純度の高い鉄だから錆びないという伝承があるようだが、どうもそうではないらしい。純粋な鉄でないから錆びないようだ。逆説的である。

 午前の早い時間だからか、観光客はまばらである。多少は海外からの旅行客と思しき人々もいるが、インド人が多いように感じる。インドも人口が14億人いるためデリーは国内旅行の目的地としても多くの人を引き寄せているとのこと。旅行分野における国内市場の大きさというものを感じさせられる。
 日本に海外から延べ1億人呼ぶのと、日本国民延べ1億人国内旅行させるのだとどちらが低コストなんだろう、とか、国内旅行にみんなが行けるような経済・社会ができればより社会は豊かになるだろうな、とも思う。日本人で旅行に行く人といかない人を分ける閾値は世帯年収500万円程度らしい。要するに世帯年収500万円以上ある家庭は旅行に行けるが、それ以下だとなかなか旅行しない、ということで、旅行については需要側の経済的な要素が多くを占めているようである。
 これについては、公益財団法人日本交通公社 観光政策研究部長(当時)山田雄一「新型コロナウイルスによって変化する観光地と観光地マネジメント」(2020)を参照。リンク先が直でPDFファイルなので留意。

https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2020/11/2020kouza_kougiroku_kougi4.pdf

 となるとインドでも比較的裕福な層が国内旅行をしているのかもしれないと思った。インド人観光客の多さはインド滞在期間全体を通じて強く感じたところである。

 歩き回っていると、ところどころに解説板がある。土台は石でできており、そこに石か素焼きの陶器のような素材でアルファベットが埋め込まれていて、景観やインドの風俗に溶け込んでいる。よくあるカラーできれいに印刷されたものも悪くはないのであるが、このような作りこみには純粋に感心させられる。日本語で同じものを作るのは相当大変そうではあるが、日本でも解説板にもう一工夫してもよいのかなとは思った。写真撮った記憶があるがスマホに残っていない。
 同じ敷地内を歩いていると草地の広場の真ん中に石の土台が中途半端に作られたものが見えてくる。アライ・ミナールという塔の作りかけらしい。伊勢神宮の横が空いているのと同じような印象である。クトゥブ・ミナールに負けじと後の王が塔を作ろうとしたものの財政難で断念したとのこと。金閣銀閣といい、こういった話は世界共通なのだろうなと思わされる。古今東西、なぜ権力者は大きなブツを作りたがるのか、一般人の私には共感しづらいところである。他方で日本の古墳も、本当は意味のないものだけど、意味のないものを作らせること自体が権力を強化する性質を持っているし、リソースを支配構造の反乱から避けるという意図があると言われている。そういった現実的な理由もあるとは思うが、イスラム文化にはそれだけでない独特の美に関する意識があるような気もする。
 2,30分ほどで一通り見て回ったところでクトゥブミナールを後にする。駐車場でドライバーさんが待っているのでその車に乗り込む。快適すぎる旅路である。

 まだ午前10時くらいまでしか時は進んでいないが、続きは次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?