アメリカン・コミックの歴史 第2回「仕立屋の息子たち(その1)」
1932年6月2日木曜日、米国オハイオ州クリーブランド、午後8時10分。黒人が多く住む貧民街の一軒の古着屋。ちょうど店主が、そろそろ店じまいをして帰ろうかと身支度をはじめていた時に入ってきたのは3人の男たち。そのうちの1人がおもむろに1着のスーツを手に取ったかと思えば、3人はそのまま代金を支払わず、店の外へ駆け出します。
銃声が聞こえたという証言もあるようですが、定かではありません。確かなことは、追いかけようと慌てて店を飛び出した店主が、不意のショックに心臓発作を起こし、その場で亡くなっていることです。店主の名前はミッチェル・シーゲル。享年60歳。東欧リトアニア出身のユダヤ人移民でした。
19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけて、帝政ロシア内でポグロムと呼ばれるユダヤ人迫害が苛烈を極めます。(ポグロムはロシア語で「破滅・破壊」を意味します)。そのポグロムから逃れるため、20世紀初頭までに200万を超えるユダヤ人達が、東欧諸国からアメリカ社会に流れ込みました。ミッチェル・シーゲルもその一人。
その時代、アメリカでは既に、19世紀中盤に渡ってきたドイツ系ユダヤ人達が、国際的な金融コネクションを活かし、銀行業界を中心にビジネス・エリートの世界で確固たる地位を築いていました。しかし、教養があり、ユダヤ教の信仰も希薄なドイツ系ユダヤ人に対して、多くが貧しい寒村から着の身着のまま逃れたきた東欧系ユダヤ人達は、イディッシュ語(ドイツ語・スラブ語・ヘブライ語の混合言語)を話し、日々の暮らしにも信仰が根付いている。そんな彼らはアメリカ社会の中で異質な、文化的にも経済的にも劣った好ましくない存在と見なされ、露骨な差別の対象となることも日常茶飯事でした。
アメリカ社会の主役は、あくまでもアングロ=サクソン系の白人でプロテスタントを信仰する、いわゆるWASP(W=White A=Anglo S=Saxon P=Protestant)。主要産業な産業はWASPに占められた新天地で、新たに仕事をはじめようとしても残された仕事は、普通の人が就きたがらない格下の仕事や、まだ発展していない産業。そうした中で、「古着屋」や「仕立屋」といった服飾産業は、東欧系ユダヤ人に参入が許された、数少ない業種の一つでした。実際にこの時代、多くの東欧系ユダヤ人達が様々な形で服飾産業に従事していました。
もっとも、仕事を得られたところで、貧しい暮らしから抜け出せるわけではなく、古着屋を営んだミッチェル・シーゲルも、稼ぎの良い月で、妻と6人の子供達を食べさせるのがやっと。家計は常に火の車で、もちろん、子供達に高い教育を受けさせることなどは、それがアメリカ社会の中での社会的地位を左右するとしても、叶うはずがありません。
そんな一家にとって父親の死は、明日からの食事をどうするのかという差し迫った、切実な問題となります。長男のハリーが郵便配達夫の仕事で稼ぐ金額も知れたもの。シーゲル家の6人兄弟のうちの末っ子、父親が死んだ1932年に18歳だったジェリー・シーゲルも、放課後には印刷所の使いっ走りのアルバイトに精をだしながら、いつの日かこんな貧しい生活から抜け出すことを、兄のレオと同じ一つのベッドの中で夢見ていました。
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