雑考(2)
笹川スポーツ財団のホームページにある、スポーツ辞典「ローラースケート/インラインスケート」の項では、ローラースケートは、1877年(明治10年)頃に日本に紹介され、1895年(明治28年)頃より、本格的に行われるようになったとしています。(※1)
もっとも、この”本格的”という表現が何を指すのか(スポーツとして大会等が開かれたのか、愛好者の団体が組まれたのか)は定かではありませんが、それより以前の1892年(明治25年)、11月27日付けの『日出新聞』として、以下のようなイラスト付きの記事をネットで見つけました。(※2)
「◎新発明『靴車』・・・・・此れは此の頃横浜にて、十二三才位の少年が、靴の下に結い付けて、市中を走り歩ける車なり。平地を行くには人力車よりも速く、自転車よりも危険無しという。ステッキに刀を仕込み、帽子に鏡を付け、今、又靴に車を付ける世の中、未だ帆掛車の出来ぬぞ不思議なる。代価は一個一円八十銭より二円五十銭まで。一つ買って試み給え。」
このイラストに描かれている”靴車”は、前2輪、後ろ2輪、現在のローラースケートとほぼ同じ形をしていることが見て取れます。履き方は、普通の靴の上からスケート靴を、踵の覆いと、甲のベルトで留めているようです。
(1908年のフランスのスケート靴の広告。これは足首をベルトで固定するようですが、大まかには似た原理のものでしょう。)
記事で紹介されているローラースケートが、果たしてどの国からの舶来品であるかは定かではありませんが(もしくは、国産のスケート靴が、この時代に既に制作されていたのか)、20世紀以降も、ローラースケートには、現在では廃れたデザインも含め、様々な形状があったようです。
(Takypodという名称で知られるスイス製のローラースケート。1910年の写真)
(1905年、ローラースケートを楽しむアメリカ人。)
では、「一円八十銭より二円五十銭」という価格は果たして、どれほどのものだったのか。大卒(ごく一部のエリート)の初任給が10円。日雇い労働者の一日の手間賃が27銭の時代です。物価では、白米一升が6.5銭、卵一個が0.8銭、そば/うどんが5厘~1銭(※3)
一概に比較はできませんが、現在の感覚にすれば、10万円ほどでしょうか。少なくとも、一般の家庭でオイソレと買える価格では無さそうです。
日出新聞は、1885年に京都で創刊された新聞で、改題・合併を経て、現在も続く京都新聞となっています。よってこの記事も、京都を中心に、滋賀、大阪の北部の読者を対象に、首都近郊での、物珍しい新風俗を紹介する見聞録といった体だと考えられます。裏を返せば、ローラースケートは、この頃、関西ではほとんど知られていなかった珍品であり、だとすれば、「一つ買って試み給え。」という呼びかけも、冷やかしの冗談に聞こえます。
(※1)http://www.ssf.or.jp/dictionary/tabid/885/gsid/140/GlossaryLink/on/Default.aspx
(※2)http://roudouundoumeiji.com/rekisi-3.html
(※3)http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm
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