
悩む人は美しい
3/22(金)の記録
今週は早かったな、なんて思いながら、金曜の定時。
後輩から社内ツールで使っているチャットツールで連絡が。
相談のような、話したいことがあるとのこと。
今の会社に勤めて8年。
いわゆる「上司」という立場になってからというもの、
わたしはめっきり『後輩へのお誘い』が苦手になってしまった。
上司からのお誘いなんて、面倒と思われるのではないか
断りにくかった場合パワハラになるのでは・・・?
なんなら嫌われているかも・・・
そんなふうにびくびくしていた私にとって、後輩からの個人的な連絡というのは、とても嬉しいことなのだ。
いやいや、喜ぶな私。嬉しがっている場合ではないぞ私。
ちゃんと相談を聞くんだぞ、私。
会社のどこかで話す?カフェとかのほうがいいかな?
と伺い、落ち着いてゆったり過ごせる私の好きなカフェへ移動。
会社ではなかなか聞けなかった、
仕事にまつわる気持ちの持ちようだったり、
彼女が日々不安に思っていること、ひとりで抱えてしまっていたような気持ちを打ち明けてくれた。
最初は探るように、少しずつ話してくれた彼女も、
最後の方にはその話の関連で思っていたことなどをたくさん話してくれたように感じた。
今の会社で、数年前から「マネージャー」という役職についているが、
実は、他のマネージャーに劣っている・そんな大層な役割を全うできる人間ではない、と常日頃劣等感を感じていた。
仕事の技術的な面でも、判断力・理解力・行動力、どれをとってもイマイチで、教える立場であったり、ディレクションなどを経験させてもらっている中でも、その劣等感は日々つきまとう。
他の人はうまくできていてすごいな、とも思うし、もっと発言力や技術に説得力がある人間がマネージャーやディレクターになるべきだと思うこともある。
だが、自分が唯一、マネージャーとして後輩にしてあげられるかもしれないと思うことがあり、それが実はメンタル的な支えになれれば、ということだった。
(補足だが、私は「してあげる」と言う言葉があまり好きではない。なぜかというと、自分がしたことが相手のメリットとなるかデメリットとなるかは、相手が決めることだと思っているからである。)
メンタルを健やかに保って仕事がしたい・仕事以外でもそういう環境に身を置いていたい、と日々思っているため、自分が発する言葉や人が発する言葉の影響力を強く捉えている。なので、その性格のマイナスを捉えるならば、人の言葉尻だったり、「他に言い方なかったのかな」と思うことがよくある点で、そういうことがあると、その度少し悲しくもなる。
みんなを引っ張っていける頼れるリーダー像と、今の自分は正直かけ離れているのだが、人並みに傷付きながら生きてきたこと・ぽんこつな私がなんとかこんとか順応しようとやってきたことが、誰かの助けになることがあるのかもしれない。なったらいいなと、そんなふうに思う。
自分がぽんこつであることは、卑下でも遠慮でもなんでもなく事実なのだが、それを会社等で人に話すことって実はほぼないよね。
話さなくても感じる人は感じるのだろうけど、自分のことをネガティブに感じるのは自分だからであって、他人から見たらそんなことないよって場合もたくさんあるし。
自分だから大きく捉えてしまうことも、他人から見たら小さいことだったりする。でも、やっぱりそれって自分では判断できないし、一度大きく捉えてしまったことを、小さいことだと思い直すことって相当訓練が必要だ。
そんな時に、周りの人が「大丈夫だよ」「大丈夫になるよ」って言ってくれることのあたたかさを、私は知っている。
コンプレックスや悩みや迷いを抱えて、葛藤している人は、すごく美しいなと思う。自覚して、苦しんで、日々迷いながら頑張る人は、誰よりも格好いい。
『毎度根を詰める君の微笑んだ皺が綺麗』と歌った椎名林檎さんの歌詞にはとても共感した。
------------------------
あたらしい明日があなたにくるようにぼくはかうして窓をあけてゐる/中山明
好きな人の幸せの一角と心の拠り所になれたなら、それほど幸せなことはないなと思いながら、勇気を持って相談してくれた後輩の明日が少しでも元気にいられていることを願う。
シマダ