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見てもらっているということ、そんなに見られていないということ
3/26(火) の記録
人前で話すのが苦手な私は、とあるタイミングで
『話しベタさんでも伝わるプレゼン』という本を購入した。
なんて惹かれるタイトルだろう。
まさに私が求めていたものではないか。
その本を頼りに練習したプレゼンは、まあまあ上手くいった。
それからというもの、私はその本をバイブルにしている。
その本に第一章にこんなことが書いている。
「他人だってみんな自分のことで頭がいっぱい」
これを読んでとてもハッとしたのを覚えている。
そうか、自分のことばかり自意識過剰になっていたが、他人だって同じなのだ。フィードバックを求められていればそのことを考えながら聞くし、なにかを判断せよと言われれば判断材料を必死に探しながら聞くのだ。
自分ばかりが注目されているのではないという、当たり前のことにとても救われた。
プレゼンではないが、自分のしてしまったことに執着してしまうという相談を受けた際、私はこの言葉を引用して伝えた。
みんな、自分のことで精一杯なのだと。つい自分のことだけを考えてしまうから小さいことも大きいように捉えてしまうが、そこまで人は人のことを見ていないのだと。
「見られていない」ということが救いになるということを私は知ったから。
そしてそれから数日後の今日。
仕事で上司からお褒めの言葉をもらった。
最初は自信がなさそうで心配したが、きっと苦手であろう場面や体験を、努力で乗り越えてきた姿勢がよかったと。
努力が素晴らしかったのかと言われると、自分ではまだまだ人に及ばないと思うし否定してしまうのだが、『一生懸命に』その時自分のキャパシティの中でできることをやってきたとは思えていたので、そこを見てもらえていた・認めてもらっていたということがとても嬉しかった。
常に物事というのは自分の思い通りにはいかないものだが、
それと同じで、思っていなかったところで評価をしてもらえることがある。
(逆に、自分で頑張ったなと思うことって側から見たらそうでもなかったりする。不思議。感覚がずれているだけかもしれない)
とにかく今日は、見てもらえているという喜びを感じた日だった。
見てもらっているということ、そんなに見られていないということ
どちらも、時にありがたく、時に悲しくもなる
身勝手な生き物だなと思いつつ、
今日はこの辺で。
シマダ