保育園時代
いつもご支援ご声援を賜り、誠に有難うございます。
嶋田祥吾でございます。
さて、暫くの間は、沢山の方々からお寄せ頂いております『32年間の歩み』を保育園・小学生・中学生・高校生・大学生・社会人時代に分けて、振り返り、赤裸々に記載をします。
それでは早速ですが、保育園時代について記載します。
①なかよし保育園
私の生まれは奈良県五條市、姉と弟の3姉弟。
保育園は、奈良県五條市に位置する「なかよし保育園」へ通園していた。
朝晩の送迎は母が仕事前後にしてくれていたが、朝は誰よりも早く登園、夜は誰よりも遅く退園という日々であった。
それは全く苦ではなく、逆に楽しかった思い出しかない。
とにかく身体を動かす事が大好きでプール遊びや散歩、体操や球技の時間が待ち遠しく、同時に食べる事も大好きで給食やオヤツの時間も印象に強くある。
中でも、特に印象に残っている事が下記の2つとなる。
②負けず嫌い
1つ目は、年長児の運動会のリレー、当時は誰よりも足が速く、アンカーを任されていた。
当日までのリレー練習では全て勝利をしていた中で迎えた本番、バトンが回ってきた時は3チーム中2位という状況。
必死で追い掛けたが僅かに及ばず、2位でゴール。
沢山の親御さんの前ではあったが、負けた悔しさで運動場に寝転んで大泣きしていた光景を今でも鮮明に覚えている。
人一倍の負けず嫌いであった。
③試行錯誤
2つ目は、自由時間に友達とサッカーをしていて高く蹴り上げたボールが園庭の屋根に当たって、何度も屋根を破ってしまい、母が園長に謝罪をしてくれているという光景。
園長先生はいつも私へ気を遣ってくださり、「園庭が狭く、思いっ切りボールを蹴るスペースが無くてゴメンね」と仰っておられた。
「お母さん、いつもゴメン」と謝るが、当然、母には怒られる。
しかし、「サッカーをするな」「ボールの使用禁止だ」ではなく、「同じ過ちを繰り返すな」という事であった。
破る度に反省し、屋根に当たらない場所を選び、蹴り方も工夫をしていた中で破る事が皆無となり、自分なりに試行錯誤しながらサッカーをしていたのかなと今になって思う。
④その他
「サッカーを始めたキッカケ」としては、特に大きなポイントはなく、物心がついた時には既にボールを蹴っていたという覚えしかない。
登園前は、父が録画していたサッカーの試合(セリエA)やゴールのハイライト集を強制的ではなく、自ら好んで勝手に持ち出して必ず観ていた。
退園後は、家の前の庭や家の中の6畳ほどの和室で柔らかいボールを使って寝るまで蹴っていた。
次回は、小学生時代について記載します。
今回も最後までご覧頂き、誠にありがとうございました。