当法人の設立への想い
いつも皆様からの熱いご支援ご声援を賜り、誠にありがとうございます。
表題の件、下記にて綴らせて頂きましたのでご覧頂けましたら幸いでございます。
※当法人に関する詳細事項は公式HPにてご確認くださいませ。(https://fcnarasportsclub.com)
①自己紹介
【氏名】
嶋田祥吾
【出身】
奈良県五條市
【年齢】
33歳
【資格】
中学校・高校一種免許状(保健体育科)
英語検定2級
漢字検定2級
【経歴】
■なかよし保育園
■五條小学校/高田FC-U12
(全国大会ベスト16/奈良県トレセン主将)
■五條中学校/高田FC-U15
(全国大会ベスト16)
■岡山作陽高校スーパー特進クラス
(全国大会ベスト16/副主将)
■天理大学体育学部スポーツ学科
(天皇杯全国大会ベスト32/主将)
■ディアブロッサ高田FC
(関西2部リーグ/選手兼広報部長)
■奈良クラブ
(JFL/営業部長)
■F.C.大阪
(JFL/会長付執行役員)
■国会議員秘書
(地元秘書)
■一般社団法人FC奈良スポーツクラブ
(会長)
②法人紹介
【法人名】
一般社団法人FC奈良スポーツクラブ
【所在地】
奈良県五條市
【登記日】
2020年5月1日
【始動日】
2022年4月1日
③私のこれまでの生い立ち
保育園の年少時からサッカーボールを蹴っていた。
小学生時は、全国大会出場を経験し、各種選抜にも選ばれ、良い思い出しかない。
中学生時は、小学6年時の最後に負った膝の怪我が全く完治せずに1年半の治療とリハビリに励んだ。復帰は2年時の半ば頃となり、実質プレーできたのは1年半のみであった。
高校進学に関しては、中学3年時の春には岡山作陽高校に進学しようと決意してサッカーと並行して勉強も積み重ねた。
高校時は、部員が総勢130人、寮生活など、今までとは異なる環境でのチャレンジであったが、高校サッカー選手権やインターハイも全国出場が出来て非常に満足できる濃密な3年間であった。
「何で奈良県にJクラブがないんやろう?」
高校時にふと思った。
当時は進学先の岡山県にもJクラブが無く、ファジアーノ岡山(現J2)が地域リーグ(中国地域)に所属をしていた。
高校卒業時、大学進学は地元の奈良県に戻ると決意。体育の教員免許を取得できる県内の大学は天理大学しかなく、過去にはJリーガーが複数人輩出されていたので即決した。
大学4年間でプロサッカー選手になれなければ、高校の教員となり、全国高校サッカー選手権大会で日本一を取るという事を決めていた。
そんな中、1番重要な大学3年時に大怪我を負い、シーズンを棒に振った。
なんとか4年時に復帰して、ツエーゲン金沢(現J2)等の様々なチームに練習参加をする中で意識が変わっていった。
「奈良県にJクラブを作りたい」
最終的に大学4年時にも大怪我を負い、当時のガンバ大阪の名トレーナーに言われた言葉。
「君の足は残念ながらプロサッカー選手になったとしても2年も持たない可能性が高い」というもの。
この時、不思議と絶望感は一切なく、大学卒業後は自分のサッカー基盤を作って頂いたディアブロッサ高田FC(当時は関西リーグ2部所属)に選手として入団しようと決心。
教員という目標も一切頭には無くなっていた。
それからは、小中高と共に戦った戦友に一緒に戦ってくれないかと声を掛け続けた。
私は選手として現役引退はこのチームしかないという想いで必死で戦った。
日中はスポンサー企業で働き、夜はチーム練習に参加という日々。
結果としては、1年目は最終節で惜しくも引き分けてしまい関西社会人サッカーリーグの1部昇格を逃し、2年目は文句なしの成績で1部昇格をきっちりともぎ取った。
しかし、私の足は既に悲鳴を上げており、この年に18年の選手生活にピリオドを打った。
大きな分岐点を迎えた中、ディアブロッサ高田FCのフロントとして残り、「奈良県からJクラブを目指す」という事を決意。
主に、TOPチームの運営と広報部長として1年間務めた。
その後、奈良クラブで6年、F.C.大阪で1年の計7年間を過ごした。
その間、営業・広報・企画・運営・育成・普及等の主たる業務を全力で取り組み言葉では言い表すことが出来ない知見や経験を得た。
F.C.大阪を2019年12月末で退団後、翌年1月〜4月までの4ヶ月間は法人設立に向けてとにかく奮闘した。
行政、企業、サッカー協会、諸団体など、法人設立への想いやビジョンをひたすらお話に回った。
沢山の方々のご指導の下、無事に2020年5月1日に登記が完了し、法人設立に至った。
その後も引き続き、2021年4月1日の法人活動の始動に向けて日々準備を全うしていた。
しかし、世界的にも予期せぬ新型コロナウイルスのパンデミックにより、理事や支援者の方々との協議を積み重ね、最終的には苦渋の判断ではあったが、法人活動の始動開始日の無期限延期を決断した。
この時の気持ちとしては、特に絶望感は無く、来たるべきタイミングで始動しようと直ぐに切り替えていた。
2020年9月、法人活動での拠点となる地域の諸課題に関心が強く、政治分野を徹底して学びたいという強い想いから国会議員の秘書として働く事を決意。
在任中は沢山の学びを頂き、地域の方々との交流や人脈も非常に広げることが出来た。
④法人設立への想い
■ジュニアユースチーム「FC奈良南和ジュニアユース」の創設
3年前まで私の出生地である奈良県五條市を拠点とする五條FCジュニアユースチームが存在した。
当時の監督からも様々な実情をお聞きしていたが、私は他クラブに在籍をしていたので引き継ぐことが出来なかった。
その結果、五條FCジュニアユースは消滅する運びとなってしまった。
当法人の近隣地域のチーム(小学生部門)としては、五條FC様・御所FC様・吉野FC様・高市FC様、RIKKEN様等が存在し、運営者や指導者の方々がご尽力され、活発に活動をされている。
また、高校年代は五條高校という県内の強豪校が存在する。
そんな中、南和地域には中学生年代のクラブチームが皆無という状況である。
数年間、「南和地域にもジュニアユース年代のクラブチームがあれば」という沢山の方々のお声をこれまで聞いてきた。
そこで、私は先ずは「南和地域のジュニアユース部門の復活」を決断した。
■地域密着社会課題解決型クラブ
これまでの10年間のスポーツビジネスとを通じて、スポーツが秘めたポテンシャルを幾つも発見してきた。
南和地域をはじめ、県内の行政や民間企業や諸団体では多種多様なニーズが生じており、スポーツを通じた多岐に渡る課題解決が可能であると信じている。
未来ある社会創造の為に、未来ある子ども達の為に、我々が貢献できることは無数にある。
将来的にはサッカーだけではなく、スポーツ全般を運営していく予定である。
■奈良県からJリーグクラブを
ジュニアユース創設後、Jリーグ参入を目指す社会人部門を創設予定である。
これまでの人生で達成できていない私の夢であり、何より日ごろから私を応援してくだる、また期待をしてくださる支援者の方々の悲願である。
大前提として試合という勝負に対しては徹底的に勝利を目指す。
加えて、奈良県を代表するに相応しい姿勢を追求し続け、皆様に愛され、直向きに貪欲に闘い続けていけるチームを目指す。
以上、2020年5月に法人を設立し、約2年を経て法人が始動する。
この2年間には様々な想いがある。
一足飛びではなく、地道にコツコツと積み重ねていく。
皆様の引き続きのご支援ご声援のほど、何卒宜しくお願い致します。
一般社団法人FC奈良スポーツクラブ
会長 嶋田祥吾
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