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村田和哉 氏

大学を卒業し、セレッソ大阪・清水エスパルス・柏レイソル・アビスパ福岡・レノファ山口の5チームで10年間、プロサッカー選手として活躍された村田和哉氏に関して記載する。

①出会いに関して


今からちょうど1年前の2021年9月3日、共通の知人を介して電話とLINEにて初めてやり取りをした日である。

その後、9月21日に村田氏に奈良へお越し頂き、約5時間のご面会となった。
初対面の感じは全くなく、あっという間の時間の経過であった事を覚えている。

村田和哉氏と初対面時


初対面での率直な感想としては5つある。
1つ目は低姿勢で謙虚である。
2つ目は自身のビジョンや哲学が明確で言語化が出来ている。
3つ目は揺るがない信念がある。
4つ目は学びの姿勢と探求心がある。
5つ目は滋賀への尽きない愛である。

当日は、良い意味でプロサッカー選手出身ということを感じさせない言動であった。

その1週間後の9月29日に、私は滋賀県へ行き、主要となるスポットを村田氏にご案内を頂き、よりイメージが具現化された様に思う。
当日は朝10時から夜中2時頃まで、息つく間もなく、情報共有と今後の事業推進に関して話し合った事を鮮明に覚えている

守山駅前
守山駅前
守山市運動公園
もりやまエコパーク
クラブ事務所
クラブ事務所
琵琶湖


②事業に関して


初対面の段階では、「未来スタジアム(小学生を対象としたサッカースクール」と「夢授業・講演会」は既に事業としてスタートされていた。

反面、強化運営面(社会人チームの創設、メンバー構成、ユニフォームの選定)、営業面(スポンサー・サプライヤー・自治体・経済団体への新規営業、営業資料作成)、広報面(チームカラー、チーム名、エンブレムの考案)、その他(グッズ制作etc)においてはゼロからのスタートであった。

先ずは村田氏の想いや思考をしっかりと拝聴した上で、1つ1つの諸課題に共に向き合い、事業をどんどん推進されていた。

もちろん補助的に協力をしてくれる大学生(スタッフ)はいるが、当初は1人で何役も業務をこなし、様々な不安や葛藤がある中、乗り越えてこられた。 

地道な活動や発信力の成果もあり、1年が経たずして、次々とスポンサーやユニフォームサプライヤーとの契約締結に至っている。

③ヴィアベンテン滋賀に関して


2021年10月、沢山の公募の中からチーム名が決まる

チーム名とエンブレムに関しては夜も眠らず悩みに悩みに抜いた結果のものである。
ここまで拘りを持つ村田氏の姿に、感銘を受けたのが正直な感想である。

チームカラーのピンク&ホワイトも同様に拘りが物凄く強くある。

セレクション募集案内
チーム名が決定


チーム名とチームカラーの確定後は、数回のセレクションにより選手の構成が決定し、初代ヴィアベンテン滋賀の船出となった。

2022年3月頃から徐々にチーム活動もスタートし、6月の滋賀県3部リーグの前半戦3試合を無事に3連勝した。

私は初戦を観戦したが、チームの雰囲気、ファン・サポーターの方々の集客数、結果の全てに感動をした。初戦の1勝をあげる迄の村田氏の積み上げて来たものが一先ず報われて良かったと安堵した気持ちもあった。

初戦の勝利後
沢山のファン・サポーターが集結

その後は、サッカー面はもちろん、滋賀県19市町をホームタウンとした幅広い活動(しがのわプロジェクト、自治体や民間企業とのイベント企画開催、各種イベントへの参加、スポンサー訪問etc)を実施されている。

加えて、村田氏のみではなく、イベント等にも参加可能な選手が自発的に街中に出て、行動されている姿勢に関して、今後の多大なる可能性を感じる。


④まとめ


村田氏の中では「サッカー」や「ヴィアベンテン滋賀」というものは、滋賀県初となるJリーグ参入という事が根本の目的では全くない。

『滋賀県に夢と希望と元気を!!』というクラブの理念に基づく、手段の1つにすぎず、もっともっと壮大な夢や目標がある。

この先の未来を担う子ども達に対する人財育成にもとことん力を入れる。

滋賀県という、故郷であり、愛する地域の更なる活性化や繁栄を心底から願う熱い気持ちと行動力で滋賀県を良き方向へ変えていく。

明日からの3連戦を乗り越え、昇格を🤝🤝

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