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善悪って難しいな

ある寒い冬の夜に
「たまに自分の死に際がどんなものなのか、とか考えることがあって」
と唐突に、彼が私に話してくれた。
私がおそらく人生で一番多くの時間を共にしている大切な人。

彼いわく、どうせ死ぬのならば、病気をこじらせたりして人に迷惑をかけたり長い時間苦しい思いをして死ぬよりも、
交通事故に遭いかけている通りすがりの子どもを助けたりして、自分でも思いもよらないタイミングで突然死んで、『あの人は良い人だったよね』と惜しまれて死ねたら嬉しい、と。

「でもそれって、そうやって思うこと自体なんかキモいよね。死ぬときまでいい人ぶりたいみたいで。ウワー、自分嫌なヤツだな…って思っちゃった。」
と苦笑いしている彼を見て、私もなんだか、どう答えたらいいのか分からなかった。
「そんなにやな感じしないけどなぁ?」とかなんとか、むにゃむにゃ言っていた気がする笑


客観的にみると彼の思い描く最期は人助けであって純粋に良いことだし
死に際に人から嫌がられるよりも良く思われたい、去り際美しく人生の幕を閉じたいと思うのも共感できる。

人から良く思われたいから良いことをする、というのは偽善と言われる行動なのかもしれないけど、それで助かる人がいるのなら、広い意味では「善」なのではないかと思う。

彼が帰っていったあと、私はひとりで温かい湯船に浸かりながら、「善と悪」についてそんなふうにぼんやり考えていた。
友達でも家族でも恋人でも。ふと毎日考えたことをこんなふうに話したり聞いたりして共鳴しあえる人がいるというのはとても幸せなことだし、大げさに言うと私が生きている意味なような気もする。


私たちはきっと、いつでも別れや死と隣り合わせだ。
いつ彼を失ってしまってもおかしくない。

忘れないように、大切な記録としてここに記す。

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