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青虫くん惨殺事件

私はものすごーーーく、
ものすごーーーーーく暗い小学生でした。

友達はほとんどおらず、
近眼で分厚いメガネをかけて、
休憩時間になるとすぐに図書室に籠ってシャーロック・ホームズを読破する毎日。

家の中でだけよくしゃべる、内弁慶のお手本みたいな子どもでした。

暗く孤独な小学生生活でしたが、生き物を可愛がるのがすごく好きだったことはよく覚えています。

ひとりひとりに配られた朝顔やキュウリなどをプランターで育てるのが楽しくて、可愛くて。
愛情をもって育てていました。

ある日、先生が
「モンシロチョウの幼虫の、青虫を育てましょう!餌のキャベツをいれてあげてくださいね。」
と、ひとりに一匹ずつ、虫かごに入った青虫を配りました。

「気持ち悪っ!」とろくにお世話もせず死なせてしまう生徒もたくさんいた中で、私は毎日毎日青虫くんを観察し、ときには彼(彼女かもしれんが)の絵を書き、キャベツを新鮮なものに入れ替えたり、キャベツに霧吹きでお水をかけてうるおしてあげたりと、真剣に育てていたのです。

熱中するととんでもない集中力を発揮する私は、凄まじい愛情をもって青虫くんを育てていました。

そう、もはや愛していたともいえるレベルで可愛がっており、先生がプリントして配ってくれた白いひらひらしたモンシロチョウの写真のように、その子が成虫へと成長するのを本気で楽しみにしていたのです。

そんな私の青虫くんに、ある日突然、異変が起こりました。

いつものように放課後虫かごに顔を近づけてジッと観察していると、青虫くんが突如として苦しそうにもがき出したのです。
言語の通じないながらにはっきりと感じた青虫くんの危機。

しばらくすると、もがく青虫くんのお腹のなかから、うにゃうにゃと蠢く無数の黒っぽい幼虫が出てきました。
お腹を裂いて飛び出してきているのです。

最初、何が起きているのか
これはどういうことなのか…

あまりのショックに頭がフリーズしてしまい、私は声も出せずに完全に硬直していました。

しかし、このままでは大切な大切な青虫くんは死んでしまう。
うにゃうにゃした幼虫たちのせいで青虫くんが苦しんでいることだけは、混乱した小さな頭でも理解できました。

青虫くんが死んでしまう悲しみ。
青虫くんの命を奪おうとしている幼虫たちへの憎しみ。

そんな感情だけが私のからだ全体を包み、
気がつくと私はその日の図工の授業で使っていたカッターナイフを握りしめ、
憎い幼虫たちを切り刻んでいたのです。

途中からはもう、青虫くんは動かなくなっていました。

それでも私は、幼虫たちを皆殺しにするまで、カッターナイフの刃を押し付け続けました。

涙も出ません。
ただただ夢中でした。

すべてが終わって呆然と椅子に座っていた私。
ただならぬ様子に、放課後の教室を回って「みんな帰りなよー」と声をかけていた担任の先生が驚いた様子で近寄ってきて、事情を話して泣きそうな私の肩をさすってくれました。

そのとき先生が教えてくれたのですが、青虫が幼い頃に、なにかの虫に卵を産み付けられることがあり、その卵は青虫の体の中で養分を吸い取って成長し、卵から孵ってお腹を突き破って出てくるそうなのです。

私のもとにやってきたときから、青虫くんはこうなる運命だったという事実を知り、私は怒りにうち震えました。

そんな理不尽なことってあるのでしょうか?
青虫くんは毎日キャベツをたべて、可愛く可愛く成長していただけなのに。

自然を生き抜く厳しさ、どれだけ可愛がって大切に育てても、悲しすぎる末路を辿ることもあるという命の無常さを、深く深く幼い私の胸に刻みつける、忘れられない小学校の思い出となったのです。

今でもたまに思い出して悲しくなりますが、

大人になってからふと気づきました。
あのとき教室で、遠目に私を見ていたクラスメイトは私のことをどう思ったんだろうか?と。

普段ほとんどしゃべらないメガネをかけたおとなしい女の子が、目を血走らせて毎日可愛がっていたはずの青虫を執拗にカッターナイフで切りつけて惨殺しているようにしか見えなかったのではないか?
あのとき、遠くから数人のクラスメイトから見られていたかもしれないのですが、誰も話しかけてこなかったように思うのです。
そうだとしたら私はとんだサイコパス少女としてみんなの心に生き続けているかもしれません。

違うんだよ!とあの頃のみんなに伝えたい。

以上が、切ない青虫くんとの思い出です。

勢いで30分くらいで書きましたので、読みにくい部分もきっとあったと思いますが、当時の異様な光景を思い浮かべて笑ってやってください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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