コンテンツの相対性理論とバランス感覚
はじめまして、しまっちです。帳票の出力や保管をする製品マニュアルを制作しているグループをまとめる役割をしています。
最近は、作るのがパワポの資料ばかりで製品マニュアルを書く機会がなくなる一方、誰かが作ったドキュメントをレビューするばかりの日々が、実に嘆かわしい限りです。とはいえ、パワポを作っているうちに、マニュアルとは違った感覚が生まれてきました。今回は、最近頭の中で形になってきたコンテンツ制作の気づきをつづっていきます。
パワポの資料を作る際の自分の作法として、インパクトの大きい言葉や絵を1ページ内に入れて、全部口頭で説明してしまおうという傾向があります。ただ、誤解もされたくないものだから、ちょこちょこ補足を入れたい心が動いてしまうのも否定できません。
たとえば、冒頭こんなことをパワポの1ページに入れるとします。
インパクトを付けたくて入れるこの文ですが、「理由って何だよ」とか「こんなこといちいち考えて書くわけないじゃん」という誰かの声が、心に聞こえてきたらおしまいです。誤解を避けねばと、なにがしかの理由を付け足してしまいたくなります。
想像の余地が減り、納得はできるのかもしれませんが、メッセージとして言いたいことは圧倒的に弱まったように見えませんか?追加された言葉によって、それまで存在した言葉の訴求力が相対的に低下してしまったようです。文字を足して長くなればなるほど詳細に伝えられますが、言いたいことのインパクトは減っていきます。詳細に書いても長くなりすぎると逆に読みたくなくなります(この言葉の量とその伝わり方の関係を「コンテンツ相対性理論」と勝手に呼んでいます)。
なので、パワポでは言いたいことを短く大きく見せて、補足のほとんどを口でしゃべってしまいます。
マニュアルではどうなっていますかね?
パワポの例は文字数が少ないこともあり、わかりやすいです。
一方で、本業のマニュアルでも、遠からずこうした言葉の量が問題になる場面があります。「すでに完成されたものに対して、記載を足すような場合」がほとんどという事情からです。あるコンセプトのもとに記載したページに、新たな仕様や注意を足すと、確かに必要なことが追記された体にはなります。ですが、元の記載の存在感は相対的に少しずつ薄まっていくことになります。
マニュアルは拾い読みのような読み方をするので、これまであまり気にもとめてこなかったのですが、新規ページの際は1ページ1意を心がけて作っているので、なんだか疑問に思えてきました。
特に「やむを得ない事情によって仕様となっているもの」を注意として載せるような場面では躊躇もします。記載を追加した結果、「ここ何のページだっけ?」みたいになったマニュアルを、どこかで見かけたことがある方はいらっしゃるのではないでしょうか。
どう対処しようか……
そうした場合、どう対処すればよいのかと悩むことになるのですが、そこで私が必要と思っているのがバランス感覚です。
• 言いたいこと
• 言いたくなくても言っておかなければならないこと
• インパクトや読まれるための感覚的な考慮
このようなことが自分が見せたいバランスになっているかの感覚が必要です。
先のマニュアルの例でいえば、「言いたいことがわからなくなってるな……」と思えてきたら考え時です。タイトルと内容の齟齬はないか、追加された要素が探しに来られるかなどを見ればわかることが多いです。
そのうえで、ページ内で最低限言っておくべきことは何か、何を表現したいのかのしきいをしっかり決めたうえで次のように考えています。
しきいを超えた部分を分ける
ページ内で言いたいことを定義し直す
「やむを得ぬ事情で仕様になってしまった」ような複雑な事態に対しては、類似のページに書くよりも、「こんなときには」みたいなトラブルシューティングのようなページにまとめるようにしています。こうした対応の理由もユーザーの行動を想像して付けますが、想像にしか過ぎません。意図したとおりに使われているかは、サポートの方の情報などを待つ必要があると思います。
結局、どのような対処をするにしても大事なのは、自分の中で言いたいことが決まっているかどうか、です。
自分が重視したいことの優先順位や、伝えたい相手を自分の中で決定し、必要なもののバランスを見極めてライティングする必要がある、ということです。
これは、マニュアルやビジネス資料であることを問わず、クリエイティブ系の創作物、広告やマンガの表現などにも共通しているように思います(もちろん表現の幅はビジネス文書とは比べものにならないほど広いです)。
表現の結果、簡単に炎上もしてしまう可能性があるご時世、何をどこまで表現するのか、また、どう表現するのかというのは自分の中のバランス次第になります。
そのバランスをどう取るのか、自分の中で表現したいことの軸とセンスがコンテンツ制作には問われているのでは、と感じています。