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いつかくる打ち上げ花火を待ち望んで

気が付いたら、6月になってた。

表題にも書いたんだけど、打ち上げ花火のあがる、花火大会のシーズンが(本来なら)これから始まる。浴衣着よう、とか臨時ダイヤのお知らせ、とかいろいろ聞こえたり目に入ってきたりする時期だ。


でも、今年は、「人は集められない」の一点張りなので、残念ながらほとんどの花火大会が中止になってしまった。

なので、打ち上げ花火の曲でも聴いて、その気分を味わおうかなと思って、いろいろ聞いてたので、 #ミュージックシェア でいくつか紹介しようかな。

1、DAOKO×米津玄師「打上花火」

2017年夏、「打上花火 、下から見るか?横から見るか?」のタイアップ曲としてリリースされた曲。

この頃、僕は就活が終わって、大学4年の暇な時期を(研究しつつ)過ごしていた。アルバイトでは、某レンタカー屋の回送や車の掃除をするお仕事をしていた。車に乗ると基本的にはラジオをつけていた。

そんななか、大学の後輩が劇推ししていた歌手の歌声が流れてきた。「米津玄師」という歌手だった。

それまで、同じく映画「君の名は」のタイアップで、「前前前世」「スパークル」が爆裂ヒットした後だっただけに、印象深い。というか話題作になっていた曲になる。

そんなこと気にせず、「ええ曲やな」と思っていた。


個人的には、やっぱり歌詞が気に入った。何もかも「終わってしまった」ような、いわゆる「もののあわれ」の、例えば「桜は散るからでこそ美しい」の構文を持っていた歌だった。現代風に言えば「エモい」であろうか。


気に入ったフレーズを取り上げていくとこんな感じだろうか。

あの日見渡した渚 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
あと何度君と同じ花火を見られるかなって
笑う顔に何ができるだろうか

この曲のほとんどの語末は過去形だ。「だった」「でいた」のような。

何もかも終わったあとのような、そんな歌詞。夏はもう終わった。君との時間も終わった。

ハッと息を呑めば 消えちゃいそうな光が
きっとまだ胸に住んでいた
手を伸ばせば触れた あったかい未来は
ひそかに二人を見ていた

でも、まだ忘れていない、というか忘れられない。

手を伸ばせば触れた未来。

失った、というよりも「とれなかったもの」。


なんとなく、「前前前世」「スパークル」以上に日本人の感覚に沿った、そんな曲な気がした。

2、Dirty Old Men(現MAGIC OF LiFE)「夜空のBGM」

こちらは2014年リリースの、栃木のロックバンドの曲だ。

僕の大学時代の先輩で、バンドをやっている人がいたんだけど、地元が栃木の方で、拠点にしていたライブハウスの先輩にMAGIC OF LiFEがいたんだとか。その人に紹介してもらったのがこのバンドだったんだけど、個人的に今も気に入ってアルバムとかを買っている。


その中の「花火の曲」で、「夜空のBGM」「花火」という単語をタイトルに入れていない花火の曲だ。

花火を「情景」や「色」ではなく、「音」で表現しているのが斬新かも。

歌詞を見ていくとそのことがわかる。

夜空を鳴らす花火の音で
君が心にひらりと浮かぶ
華やぐ夜と君の姿は瞼の裏側
夜空を叩く 花火の音で
君が心に激しく浮かぶ
花火が終わるざわめきの中
ゆっくり開く瞳に映る
月に濡れた空

一方で、音を感じつつ、「花火」を「いなくなってしまった君」と「月」を「一人になったボク」との対比を描いている。

なんか、明るいテンポの曲なのに、悲しい。寂しい。


ちなみに、同じフレーズが繰り返し使われているので、そこも不思議な感じだ。何度でも花火を見るたびに思いだす、ということなのかな。


途切れた記憶の続きを奏でて
終わったはずの花火に願ってる
もう一度空に打ちあがったなら
会えるかな?
なんてちょっとだけ思ってるんだ

途切れた記憶には花火の記憶が、君と重なってる。

終わったはずの花火には、君と「また会えますように」と。そして「もう一度打ちあがったなら(=という奇跡があれば)会えるかな?なんてね・・・」と。

3、槇原敬之「花火の夜」

槇原敬之 花火の夜 歌詞&動画視聴 - 歌ネット槇原敬之の「花火の夜」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)夕立止んだ夜空はまるで 歌ネットは無www.uta-net.com

実は、僕が最初にネットワークウォークマン(死語)を買って、入れてもらった曲のアーティストが、2008年当初気に入っていた平井堅さんと槇原敬之さんだった。

その槇原敬之さんのアルバムに入ってた曲に、「花火の夜」があった。

で、当初はこの曲を聴いていたわけじゃないんだけど、たまたま流れてきた1曲だった。

最初にギターソロで入る珍しい曲だと思う。


それは、花火の夜、君と一緒にいる物語を描いた曲になっている。

一方で、ほかの2曲と同様、やはり過去形の部分が存在している。しかも、丁寧にワンフレーズごとに、だ。

夕立ちやんだ夜空はまるで
体育館の黒いビロード
今年もいろんな街から
集まってくる花火大会
どんな人でもこの場所で
笑顔になれる花火の夜を
とても好きだと言っていた

君を今も思いだすよ
花火と同じ色で
浮かんでは消える君の横顔
君と話したいろんなことは
夏の夜に消えずに残っている
雷じゃないよ 始まったんだ!
僕の手をつかんで走り出した
今遠くにいる君からも
この花火が見えたらいいのに

つまり、すでに過去の話ではあるんだけど、君と一緒に花火を見に言った思い出を物語にして歌っている曲なのだ。

なんだろう。ここまで具体的に情景描写しているだけに、余計に寂しい。君とああしたね、こうしたね、が具体的過ぎて。。。


個人的に、最後に挙げた「雷じゃないよ 始まったんだ!」という開幕を表現しているところが好き。有名じゃないけど、味があっていい曲だ。

最後に

どの曲にも、「もう終わっちゃった」という感覚を覚えるような装置が備わっている気がする。刹那を感じるような、そして過去のあのときを思い出させるような。

というか、花火がそもそも「咲いたらすぐ散る」というものである以上、取り上げたら自動的に「もののあわれ」になるものなのかもしれない。

平安時代には調和のとれた美に感動することが多くなり、その場合しめやかな情緒を伴い、独特の優美な情趣の世界を形成するようになって、理念化されたとみられる。同じ時代の「をかし」と比べると、優美にかかわる点など類似した面をもつ一方、「をかし」の明るい性質に対して「あはれ」は哀感を伴う点など異なるところがある。「もののあはれ」も、こういう当時の「あはれ」と内容はほぼ同様である。ただ「もののあはれ」は「春雨のあはれ」「秋のあはれ」などを一般化したことばとみられ、「ものの」は「あはれ」の引き起こされる契機を示すのであろう。
コトバンクより

花火の曲を聴くだけで、平安時代のことまで持ち出すのはオーバーかもしれないけど、引用するとしたら、「日本人のこころ」的なものをもってくるとしたら、やはり「あはれ」のこころなのかなと思った。

花火の曲が思い出させてくれるのは、もしかしたら「あはれ」の心だったりするのかもしれない。線香花火もそうだけど。


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