野に咲く universe(宇宙)に帰ろう【しまさんの読むラジオ】

久しぶりに、書きたくなったので。

最近思うことに「世の中に煽りが溢れている」ことがある。

「このままだとあなたはこうなるかも。。。」
「これからの新常識!」
「まだ○○で困ってるの?」

確かに、僕がライスワークの世界でやっているセールスライティングの技法としても、PASONAの法則」として、「Probrem(問題提起)」の次に「Asitation(煽り)」というのがあるくらい、定番である。今の時代、煽らないと「モノ(コト)は売れない」。

僕らは、もともと侵害されないはずだった「感情」さえも「コントロール」される羽目になっている。と思う。

フェイクニュース、差別、ルッキズム、マイクロアグレッション、洗脳、、

人は人をコントロールできる幻想を現実にしようとしているんだと思う。これが「社会善」「ALL-Winner」になるなら別だけど、そんなことないし、なんなら「分断して、自分の支持者を集めたい」人だらけである。「自分だけ、今だけ」。

あーなんてこったな社会に生まれちまったなあ、、、と思いつつ、久しぶりのラジオは現代社会を煽ることから始めてしまった。結局自分も煽ってるやん。

今日は、「僕らが、感情を自分で素直に表せる、コントロールされない社会になったらいいな」という、最近なって欲しいなと思う社会像の話を書こう。

それは、official髭男dismの「Universe」が描いてくれている。

“僕は僕をどう思っているんだろう”

僕らは、気がついたら、というより、大学を出て社会に出た瞬間、下記のワードに踊らされることになる。(多分。僕はそうだった。)

「未来、理想像」
「稼ぎ」
「評価(点数のように可視化されないものも含め)」

だからふと、こんなことを、時間があると考え出す、なんてことも起きる。

未来がどうとか理想がどうとか
ブランコに揺られふと考えてた
まぶたの裏浮かんだハテナ
僕は僕をどう思ってるんだろう?
Official髭男dismUniverseより

1つの判断軸として「僕は僕をどう思ってるんだろう?」という問いかけは大切だと思う。
(似た表現といえば「俺は構わないが、YAZAWAがなんて言うかな?」がある)

一方で、「〇〇の軸」っていうモノを、人に、もっといえば若者に求めすぎなんだよな、と思うときがある。

「人間は一貫性があって当然」という姿勢。そしてぶれると「軸がない」と断罪する人(世間)。

しかし一方で「人間の行動すべてに一貫性があるなんてそんなわけない」という考え方がある。

実際、経済学の大前提「人間の意思決定は行動は、自分の利益最大化を目的として決定される」ことを疑って誕生した「行動経済学」は、今やノーベル経済学賞をとり、取り扱った本「予想どおりに不合理」はベストセラーになっている。

むしろそっちのほうが自然だと思う。なにもかも「利得の最大化」で人間が動いていたら、様々な行動の説明がつかない。例えば愛とか。「人間には感情がある(から非合理な活動もする)」

僕は僕をどう思っているんだろう?という問いは、「素直な感情」があることが必要になってくる。そんな素直じゃない僕には、「僕が僕をどう思っているのかを理解するために必要なもの」さえ持ってない。

嬉しい悲しいどっち?正しい間違いどっち?
夕日に急かされ伸びた影 見つめ

そんな僕でも、おそらく「受け入れてくれるもの」があって、初めて見えてくるのが「素直な感情」なのかもしれない。

0点のままの心で暮らして
笑って泣いて 答えを知って
満天の星の中 僕の惑星
彷徨ってないで こっちへおいで
涙とミステイク 積み重ね 野に咲くユニバース
ただひとつだけ

心に土足でくる人、それとね

でもそんな人(場所・もの)ばっかりじゃない。

冒頭に書いたように「煽ってくる(不安にさせてくる)」人(場所・もの)もある。

さっき書いた、

「このままだとあなたはこうなるかも。。。」
「これからの新常識!」
「まだ○○で困ってるの?」

なんてまさにそうだ。

未来はこうとか理想はこうとか
心に土足で来た侵略者は
正義だとか君のためだとか
銃を片手に身勝手な愛を叫んだ

Twitterを見れば、「未来はこう」「理想はこう」という人であふれている。多くは「未来は真っ暗」と「理想は日本には無理(または海外のモデルはこうだがムリ)」である。

しかもそういうものは多くは「正義だ」「君のためを思って言ってるんだ」と銃を片手に、いやなんなら僕の分の銃も持ってくるので両手にやってくるし、ご丁寧に撃ち方まで教えてくれる。でも人を撃ったことないから撃てない。当たり前やん。

メタルギアソリッド1でスネークが「新米、お前人を撃ったことがないな?セーフティが外れてないぞ」って言い放ってたけど、もうそういう状態よね。


こういうときにも必要になる問いは「僕は僕をどう思ってるんだろう?」ということにはなる。

立ち向かう逃げ出すどっち?答えを決めるのはどっち?
本当は わかってるんだけどね 不安で

0点のままの心をのぞいて
悩んで泣いて時間になって
暗転した舞台明かりは灯って
怖がってたって 傷ついてたって
世界は回っていく

決めるのは自分しかいないのだけど(自分の人生だし)、どっちも選べない、というのが正直なところだ。

僕がこれから働くところも、どんな人と付き合っていくのかも、ひいてはパートナーがどんな人になるのかも、さらには日本国内のどこに住むのか(下手すると国、星も変わってるのかもしれない)なんて全くわからないのだし、立ち向かうも逃げるもない。

煽られた僕には決める能力なんてはく奪されてしまっている。

じゃあどうするべきなんだろうか?

さあ帰ろう、野に咲くuniverseに

面倒と幸せを行ったり来たりして
ジグザグに散らばる僕の星座
重ねた日々は遠くの惑星だ
思い出し忘れて めぐる過去の向こうから 君は

暗い心にやってきた流星

日常、毎日のように暗い気持ちになっている僕にとっては、誰かと過ごした日々というのが光っているように思う。

その時だけはその人(または場所)のことを思って、何ができるかな?何をすると楽しい(楽しめる)かな?と考えて、いうなれば面倒という幸せをかみしめていたのだろう。

だから、これから、今までの僕によって、または今まで出会ってきた何かによって、救われるのかもしれない。
※マルチやカルトであってはならんけど。

笑って泣いて 答えを知って
満天の星の中僕の惑星
彷徨ってないで こっちへおいで
今日は帰ろう いつの日も野に咲くユニバース
ただひとつだけ

僕は、足元も目の前も真っ暗に思ったときに、本当に「真っ暗なのだろうか?」と問いかけることが必要なのかもしれない。

一瞬真っ暗に見える夜空も、星がたくさんあって、ただ見えてないだけで。ただひとつの「Universe(宇宙)」に包まれているんだよ、と。

目の前の最悪な状況に対して、感情を押し殺して耐えるんじゃなくて、煽られたことに対して文句をぶつけるのでもなく、「僕は僕をどう思ってるんだろう?」という問いをぶつけることが必要なんだと思う。

だから、ただひとつ受け入れてくれる「Universe」に帰ろう、と言ってくれているんだ。この曲を通して聴いて、改めてそう思った。

「僕らが、感情を自分で素直に表せる、コントロールされない社会になったらいいな」

それはすぐには果たされないだろう。今も世の中はたくさんの煽りに溢れているのに、自分自身の気持ちを(本質的に)表明できる場所はほとんどない。

そのための、ただ一つ受け入れてくれる「Unierse」に帰ろう、と言うのは理解できる話だ。安心して、帰って、「僕は僕をどう思ってるんだろう?」と言う問いを受け入れてくれる人、場を。


こんな日だから、こんな世の中だから、さあ帰ろう。

いつの日も僕を(君を)待ってくれるユニバースへ。

受け入れてくれる人、モノ、場所。

そこに帰っていこう。よければ誰かと一緒に。


Official髭男dism「Universe」全歌詞はこちら▽

こんな話をよくしていた「Divercity Journey」がまた10月から始まります。

もし気になればこちらから。

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