宝石に“なるかもしれない”日

ボクは、何故か色んな人に、人生相談やキャリア、お悩みの相談を多くいただく。専門知識はない。僕自身の哲学を求めているらしい。

「こんなこと始めようとしてるけど不安」

「コレは正しい道なのかな?」

などなど。

昔のボクなら、ある程度知識知ってる部分をひけらかしてた。そして、これがホントに解決しないんだ。笑

一方で今は「すこぶる聞く」「たまに質問」だけでかなりのことが解決に向く。もしくはその人のTODOまで確実に決まる。

そして最近とみに思ったことがある。ボクにとっては1つのメンタリング、1つの相談かもしれないが、その人にとっては「1つの苦悩が全ての苦悩に通じる」くらいの気持ちなのである。つまり、一事が万事なのだ。

その相談を「宝石」にしよう

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そんな「1人の人生において、1つの苦悩が一大事」と言うのを感じたボクは、スタンスを大きく変えようと思う。

その相談を受けた日を、その人にとって「宝石になるかもしれない日」にしよう、と。

それは、相談の中で主張されるやりたいことや不安なことにひたすら共感し、たまに質問して、なにかTODOを導いたり、アウトプットを作ったりする、1連の作業を「一球入魂」しよう、と考えた。(いままでテキトーにやってたわけじゃないよ笑)

その相談した日から、次の人生の転換になるかもしれない。その相談したことを進めることで人生が楽しくなるかもしれない。

まさに日々を「宝石になった日」にしたい。

だから、ひとつひとつの苦悩と向き合い、相談を受けることをサボらない、「宝石になるかもしれない日」を作り上げる。

今日も、ボクの友だちの悩みとか考えてることとかを聞いて、共感を持って進められる形にしたんだ。

だからその子にとって今日は「宝石になるかもしれない日」である。

そんな日々、そんな苦悩、ひとつひとつ、小さくても、「宝石」になる。固まって1つの形になる。だから、「ささいなこと」はボクにとっては何一つ存在しない。この姿勢を忘れない。

オマケ

この記事のタイトル名元ネタはBUMP OF CHICKENの「宝石になった日」です。

歌詞自体はラブソング・・・?なんですね。

あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいたことが 宝石になった日
忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る
(中略)
こんなに寂しいから 大丈夫だと思う
時間に負けない 寂しさがあるから
振り返らないから 見ていてほしい 強くはないけど 弱くもないから
(中略)
ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
応えがなくても名前を呼ぶよ 空気を撫でたよ 君の形に

BUMP OF CHICKENの曲は、さみしさと向き合う曲が多くて、誰かと別れた後に聞くとスゴイ威力ですね。聞きながら涙でそうでした。

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嶋田尚教(しまさん)
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